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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<隠された表面2


……しかし、私たちはまずもっと直接的で、もっと現象的なレベルで疑問を提起しなければならない。私たちはこの作品における対面の構図の単純明快さにもう一度問いを投げてみなければならない。
 というのも、〈キューブ〉の空洞が感受されるのは〈キューブ〉に視線がそそがれるからである。このオブジェをどこからでも「正面」に見つめられる、いいかえるなら、投げかけられる視線が最終的に「正面」を発見することをけっして確信せずに作品を見つめられる、という単純な事実によって、私たちは、消えては、現れ、再びもとのかたちを取り戻したと思うと、また解体していくグラスを見つめていたとき、ジャコメッティ自身が経験していたのと類似する状況に身をおくことになる。一九三五年、ジャコメッティがインクによるデッサンで〈キューブ〉を正確に──ここで私が「正確に」というのは、多面体がもはや一九三二年の空想の檻のように透明なミニチュアではなく、〈キューブ〉と同じ大きさになり、稠密なマッスで表象されているからである──表現するにいたっていることは意味深い。このデッサンは多面体にそそがれるまなざしをまさに対面の、そして上部からの視線という効果的な図式によって、演出し、理論化している。
 この〈月を思わせるもの〉と題されたデッサンは〈キューブ〉──上部の白い顔からそそがれるまなざしを受けている〈キューブ〉──を正確に表象している。見たところ、その他にはなにも描かれていない。対面する二つの形象──あたかもこの共在には未知の真理が隠されているといった趣だが──のあたえる寓意的な印象は、たとえば月をめぐるシンボリズムを空しく問うよりも、同時に二つの形象が現前しているという単純な現象形態に依拠すると考えるべきである。デッサンが「月を思わせる」のはなによりも星が災禍(désastre 星ならざるもの)をのぞき込むように、〈キューブ〉を見つめる顔が上部から視線を投げているためである。ところで、この視線にはいったいなにが起きているのだろうか。この視線が寓意的ドラマの主人公たちを結び合わせ、同時に両者を孤独に放置していること、また、マッスの効果と空虚の効果を対比的に強調していることは明らかだ。……
 …………
 〈月を思わせるもの〉に見られる劇化効果や寓意化はだから、まちがいなく〈キューブ〉の自己表現の方法にかかわっている。まるで一九三五年制作のこのデッサンが〈キューブ〉に向けられるべき視線の詩学を教授してくれているかのようにである。もっともパラドクサルなのは、この小さなデッサンが、簡潔な表現を通して、あらゆる注意を彫刻の大きさにそそいでいる点である。このデッサンで人体はまさに「見えないオブジェ」だが、ジャコメッティのペンは多面体にある大きさ──それまでのデッサンにはまったく見られなかった大きさである──を授けている。この大きさは〈キューブ〉に本当の意味で最終的なスケールをもたらしたのだが、それはいわばパラドクサルな人間形態を志向するスケールといっていい。
 …………
 〈キューブ〉制作に先立つ不規則な多面体表現のすべては、こうした視点に立てば、意味深いこのフォルムの正しい大きさを見出すための休みなく、ためらいがちな試みだったと考えられていい。周知のように、ジャコメッティはものの大きさの問題とは極端なほどドラマチックで、脅威や絶望とつねに隣り合わせの関係をもっていた。彼の前で、人は突然、巨大になり──一九二〇年、パードヴァで眼にした「二、三人の娘たち」のように──反対に小さくなったり、細くなって、消えうせかねない。ティツィアーノ、クールベ、セザンヌ、ロダンが、そしてとりわけ彼の父があれほど容易に手なずけていたこと、つまり、実物大の概念が、ジャコメッティにはいつも(あるいは断続的に)捉えられないものに感じられていたのだった。それは生をヴォリュームとして、あるいはヴォリュームを生として捉えることの不可能に似ていた。しかし、ジャコメッティは他の場所では二つの矛盾する大きさに則してものを見ることができるとも語っていて、自分の「無能力」を的確に把握している。一つは外的な大きさで、彼にはつねに捕捉不能だが、もう一つの内的な大きさは徐々にかたちを現し、明証さを帯びてくる。「オブジェは想像のなかでフォルムをもちはじめ、徐々にその素材、大きさが見えてくる」からだ。
 つまり、ジャコメッティの作品にあって、〈キューブ〉はこうした「内的な大きさ」をもつオブジェの典型なのであり、この作品は、当然のことながら、あの不思議な記憶のための「複数の面をもつ円盤」と夢の世界に関与的なのだ。夢に似たクリスタルであり、同時に具体的なオブジェである〈キューブ〉は、内部で二つの相矛盾するディメンションを結合させているのである。あるいはこういうべきかもしれない。〈キューブ〉のありうべくもない大きさは普通なら相互に排除し合うはずの現実的尺度と次元の間にこの作品が成立させる弁証法的関係によって生まれているのだと。」
(ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『ジャコメッティ──キューブと顔』)
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