忍者ブログ

Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<偶像崇拝批判序説4

「……そういう人たち〔保守派の論者〕の現代日本についてのイメージというものを考えてみますと、おそらく自分たちが日本で圧倒的な力をもつ進歩的勢力に取り巻かれている、われわれは今こそ、とうとうたる俗論に抗して嵐の中のともしびを守ってるんだ、というつもりだろうと思うのです。ところが反対の立場から見ると全然事態は逆であって、そういう人たちの基本的な考え方なり、それを支えている勢力なりの方が圧倒的に強く、また少くも現在は積極的意見としてでなくとも、消極的な同調として多数国民の「支持」をあてにできる状態にある。だからこそいわゆる進歩派の論調は一、二の綜合雑誌でこそ優勢だけれども、現実の日本の歩みは大体それと逆の方向を歩んで来た。俗論に抗する、マイノリティどころか、国民意識の上では、マジョリティの上にあぐらをかいているということになるわけです。
 こういうふうに保守勢力さえ被害者意識をもっているのですから、進歩的な文化人の方はなおさら、マイノリティとしての被害者意識があります。保守勢力も進歩主義者も、自由主義者も民主社会主義者も、コミュニストもそれぞれ精神の奥底に少数者意識あるいは被害者意識をもっている。それだけ全体状況についてのパースペクチヴが、くいちがっているわけであります。よくマス・コミュニケーションが万能であるということをいわれます。あとで申しますように、たしかに日本ではとくにマス・コミの画一化作用は強大なのですが、個々の新聞人に会ってみますと、決してそういう人たちは、マス・コミ万能意識を持っていない、むしろ逆に一般的に新聞批判に対して非常に神経質、神経過敏になっている、新聞に対する攻撃なり批判が非常に多く、いつもそういうものに、やはりそれなりに取り巻かれているという感じを抱いています。
 また日本の牛耳っているのは官僚だというのも多くの人の常識になっている。私の高等学校なり、大学なりの友人には、当然役人になった人が多いのですが、クラス会などに出てみますと、局長や部長級の役人がやはり被害者意識です。外の社会から見ますと官僚は現在非常に巨大な権力を握っていると思われるが、当の役人そのものは支配者というか権力者というか、そういう意識ってものは驚くほど持っておりません、むしろ役人というものは四方八方から攻撃され、政党幹部からは小突かれるし、新聞からは目のかたきのようにいわれるし、非常に割のあわない仕事だと本気で思っている。大新聞のいわゆる「世論」はこうした役人から見ると、ことごとく自分らに敵対的で、そのことに非常な焦燥、孤立感あるいは憤懣を持っているのです。自分たちの立場や言い分はいっこう通じない、また通じさせてくれないという孤立感です。こうなると、国中被害者ばかりで加害者はどこにもいないという奇妙なことになる。……」
(丸山眞男「思想のあり方について」)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
trounoir
性別:
非公開

P R