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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<最後の命名

「カフカがそれを通じて彼の詩的な操作をつづけるこの実験的な虚偽は当然のことながら、イメージとことばの中にそのもっとも大きな証明力を見出す。実際、言語も、それを道具とする芸術と同様、なんら真実を語ることはできない。逆説的な契約によって、言語を拒み、言語がそれから永遠に切り離されているなにものかに結びつけられて、言語は抜け道、間接的手段、ごまかしに訴えることによってしかその機能を引き受けることができない。直接的に目的に進むことを言語に禁じることによって、真実は言語に長い回り道を強い、言語を終わりのない道へと追いやり、言語はそこで迷い、埋没する。こういうわけで、真実なもの純粋なもの不易なものに向かって引っ張られながら、言語は偽りのもの、迷妄、不純なもののくぼ地の中にしっかりと引きとめられている。この緊張を叙述すること、このさまよいを描くこと、それが途上で出会うひとを欺く事物を反映させること、それが嘘をつくときに起こることを書きとめること、それこそが言語の本質にかなったつとめ、言語に許され、言語が確実に遂行することができる唯一のつとめである。
 ……それこそがカフカが《委託》を受けたつとめであり、それについて彼は、それは「つとめですらない、不可能なつとめですらなく」、彼が呼吸しなければならないかぎり「彼が呼吸する空気」である、という。この変化をなしとげるために、彼は手はじめに事物の名を変える、それらに新しい名を提供することによってではなく〔カフカの作品にはネオロジスムやオリジナルな造語の形成がまったく見られないことはしばしば指摘されてきた〕──名は発明されるのではない、ひとは言語を創り出すのではない──、それらを古い名、使用と先入観によって用途を変更され、消耗され、汚されてしまった名の力を借りて命名することによってである、これらの名はずらされることによって少なくともそれらの最初の効能の一部をふたたび見出すのである。習慣、怠惰、でき上った観念は正しい語を追い放ってしまい、事物をそれらの名によって呼ぶことを妨げる。こうしてカフカはたゆまず世界を命名する、彼は単語を交換し、対象にとって貼札の役をし、対象をそれらの意味から遠ざけるさまざまの名称をごちゃまぜにする。彼の命名はラディカルで、否定的で、破壊的な行為である、しかし、それがなしとげられる際の細心さ、精確さ、厳格さ、愛のゆえに、それは同時に信条告白、生と思想の深みの中に根づいたひとつの正しい言語のつねに可能な誕生の予告である。……」
(マルト・ロベール『カフカ』)
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