忍者ブログ

Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<啓蒙できると信じている連中を

「戦争をまったく描かない戦争映画。そんなものがあるのだろうか? アルトマンがやろうとしたのはそういうことだ。それはまず第一に、戦争に対する悪意。第二に、そこに描かれた戦争を観て自分は戦争を理解したと信じ込み感動してみたりその場だけの戦争反対を訴えてみたりする観客への悪意。そして第三は、そんなものが本当に描けると思っている映画そのものへの悪意である。『マッシュ』、『ストリーマーズ』、『駆逐艦ケイン号の反乱』などを観ればよい。いかに戦争そのものを撮ることができるという映画的欲望を回避しつつ、戦争が孕む醜さを画面に叩き付けることができるのか。つまり、アルトマンの戦争映画は他のあらゆる戦争を描いた映画と、決定的に断絶しているのだ。
 『ストリーマーズ』。ハリウッドから追放され、アルトマンはヨーロッパで低予算で作ることのできる映画ばかりを撮りはじめる。低予算によって映画自体の質が落ちたかというと、まったくそんなことはない。大予算をかけて大ヒットを飛ばすことのみを追求するハリウッドへの、アンチ。それは過去の自分自身へのアンチでもある。このころのアルトマンの映画のキーワードは「演劇性」である。おおがかりなセットでいかにリアルに撮るか、ではなく、限られたスペースと俳優で、いかにドラマを作り上げるか。それはまったくハリウッドとは逆と言っていい。『ベースメント』に至っては、登場人物が終始2人しか登場しなかったりもする。その究極形の一つが、『ストリーマーズ』である。「戦争映画」にもかかわらず、ここには「戦場」はいっさい描かれない。にもかかわらず、「戦争」を行う「人間」の狂気に迫り切った作品でもある。舞台は部屋一つ、それのみである。その部屋の中で、兵士たちが繰り広げるドラマ。そのドラマの答えは、不毛、である。ここに登場する人物たちは、まったくのところ、誰一人として、救われない。『プラトーン』や『フルメタル・ジャケット』のような戦争映画。それらと、『ストリーマーズ』を見比べてみればいい。どちらが、戦争に、人間に迫っているのか。ラストに流れる、落下傘が開かぬままに落ちていく兵士の悲しみの歌。これが、ベトナム戦争になにもできなかったアルトマンが眺めていた風景。『マッシュ』と併せて観るべき作品だ。
 戦争を描くことができ、人々を啓蒙できると信じている奴等への、悪意。」
(nos/unspiritualized「ロバート・アルトマン、あるいは蠅の王」)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
trounoir
性別:
非公開

P R