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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<祈るな。それは嘘だ

「ハリウッド、映画そのものと闘うために、アルトマンは己の映画技術を研ぎすませていった。あまり認識されていないことだが、アルトマンの映画技術は世界トップクラスである。映画監督としての格は誰も及ばないほどなのである。ところが、アルトマンはかつて「美しい」「善い」「正しい」映画というものを、撮ったためしがない。たとえばアンドレイ・タルコフスキーのような映画。それはまさしく「芸術」としての映画なのである。フェリーニしかり。黒沢しかり。彼等の映画はまったく美しい。なぜならそれは芸術なのだから。この世界と真実と神を、それらは遠景に見ている。なにかを信じている。そこには希望があり、賛美がある。そのような「芸術」にアルトマンはまったく及ばない。アルトマンの映画は、これまでたった一度たりとも、「芸術」であったことはない。これからも決してないだろう。そういった監督たち、芸術家たちにアルトマンの才能や技量が劣っているのかというと、まったくそんなことはない。むしろ、凌駕しているとさえ言える。アルトマンが「芸術」映画を作ろうと思えば、それは容易だろう。彼はそれをできるだけの才能と技量、資金、立場を持っている。カンヌ辺りで芸術的に評価されうる作品を作ることも可能だろう。だが、彼はそれをしない。もういい年だというのに、巨匠と呼ばれていた方が楽なはずなのに、あいもかわらず見るものを底知れぬ居心地の悪さに叩き込む作品だけを異常なペースで作り続けている。彼は「映画」や「芸術」「世界」「神」の側に決して身をゆだねようとはしない。枯渇することのない悪意をあいもかわらず漲らせ、「アルトマンの映画」だけを世界に突き付け続けている。
 アルトマンは映画そのものに挑戦し続けた。わたしたちは人生そのものに挑戦し続けなければならないのか? 負けると分かっていても? その通り。つまるところ、それが「蠅の王」たる資格である。
 ほとんどすべての芸術家、人間は「向こう側」を信じている。別にそれが神であろうが悟りであろうが、形而上的真実、イデア、天国、究極の芸術、本当の自分、本当の国家、本当の民族、本当の家族、本当の恋人、「いまここにはないけれどきっとどこかにあるはずの」何かを、信じている。それは、いいことである。人生は、そう信じた方が楽なのである。そう信じることで、より円滑に人生を機能させることができる。「明日」が来る。どこかに自分がいるべき場所がある。芸術家がより真実なものを作ろうと邁進することはあたかも茨の道を行く苦行のように思われるけれども、とても楽なことである。ともかくも、辛くとも何かを信じていられるのだから。
 アルトマンは、いっさいを信じない。小さな悟りとやらで満足げな笑みを浮かべる奴ら。奴らを眠らせない程の、歯軋りを。なにも信ぜずに、それでも絶えず前へ這い付くばっていくこと。それは世界や神や真実に喧嘩を売ることである。ただ自分の悪意と能力だけを研ぎすましていくこと。それはきっと、なによりも辛く心細く、呪われた生き方である。故に、アルトマンは芸術家ではない。むしろ、それに逆らう者である。」
(nos/unspiritualized「ロバート・アルトマン、あるいは蠅の王」)
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