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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<自然描写の起源

「では修辞学の体系のいずれの箇所、いずれの部分に風景描写にかんする教えが位置しえたか──これを明らかにすることは以後の議論全般のために重要である。そこで第一にわれわれが出会うのは法廷弁論である。アリストテレスいらい、証明論は「無技巧の」証明(すなわち、弁論者があるままに見出し、そのまま利用すればよい類のもの)と、「技巧の」証明とを区別する。後者は弁論者自身によって想像されるものであり、彼はこれらを自分で「見出さ」ねばならない。それは熟考──アリストテレスの用語でいえば三段論法にもとづくものである。修辞学的な三段論法は省略三段論法、ラテン語では argumentum と呼ばれる。これらの証明を見出すために修辞学は、一般的なカテゴリー、もしくは「発見される場所」をいくつか挙げる。すなわち、これらの loci は人物の loci と事物のそれとに区別される。前者(argumenta a persona)は、素性、生国、性別、年齢、教養などである。一方、事物のトポス(argumenta a re、また attributa とも呼ばれる)は、なぜ? いつ? どのように? などの問いに答える。これら事物のトポスの分類も微に入り細をうがっている。しかしわれわれとしては、どこ? という問いからは argumentum a loco が、また、いつ? という問いからは argumentum a tempore が生ずることに興味をもつだけである。前者は犯行の場所の状況から証明を得ようとする。それは山地であったか平地であったか、海岸であったか内陸であったか、耕地であったか、人の出入りがあったか、荒地であったか? 等々。argumentum a tempore もまったくこれに対応する。いつ犯行はなされたか、その季節は、時刻は? 等々。法廷の弁論術も政治のそれも古代末期にはほとんど完全に顕賞の弁論術にとって代わられた。しかしその体系はなおも引きつがれた。そこでこれら異なった弁論の区別が容易にうすれ、三者がたがいに混合したことは言うまでもない。このような状況から、argumentum a loco および argumentum a tempore は中世の詩学にふたたび姿をあらわす。しかしまた風景描写は顕賞の弁論術における「構想論」と結びつくこともできた。この種の弁論の主要な仕事はほかならず賞賛であり、賞賛の対象となる事物には土地も含まれていたからである。土地はその美観ゆえに、豊沃のゆえに、保養効果のゆえに賞賛されうる。つづいて新ソフィスト派では細密描写の論がとくに発達し、風景にも応用されている。
 結論をまとめてみよう。自然描写は法廷および顕賞の弁論のトポス、とくに場所と時のトポスに結びつくことができた。中世の論理において、法廷の証明のトポスに由来する術語、argumentum a loco および argumentum a tempore は、詩的描写にかんする教えへと転化した。これは北方の西洋が古代の遺産に施した大規模な改修作業における、歴史的興味にみちたエピソードである。」
(E.R.クルツィウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』)
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