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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<他のどこでもない狂気

「こんな話がある。
 ある男が、巨大な門の前に着く。門前にはひとりの屈強な門番がいる。男は門に入れてくれ、と頼むが、門番は、いまは駄目だ、と拒絶する。男はどうしても門に入りたい。門番をおだてたり、豪奢な贈り物をしたりする。しかし、答えはいつも同じ、いまは駄目だ。気の遠くなるほどの時間がすぎる。いったい、いつになったら入れてもらえるのだろう。やがて男の寿命が尽きる。いまわのきわ、男はそれまで浮かばなかった問いを発する。

「誰もが掟を求めているというのに……」と、男は言った。「この永い年月のあいだ、どうして私以外の誰ひとり、中に入れてくれといって来なかったのです?」いのちの火が消えかけていた。うすれていく意識を呼びもどすかのように門番がどなった。「ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門は、おまえひとりのためのものだった。さあ、もうおれは行く。ここを閉めるぞ」
 これはフランツ・カフカのもっともよく知られた掌編『掟の門』である。それはあの『審判』の挿話としても、『田舎医者』の挿話としても、カフカが何度も語らねばならなかった寓話だ。いったいカフカは、この奇妙な、不気味な物語を通して、何を語ろうとしているのか。通常の倫理にもとづく教訓をいくら引き出そうとしても、徒労である。
 この時、〈門〉の開きは、「きみと世界の戦いでは、世界に味方せよ」と同じ地平にある。クライストがあの夕陽のなかに目撃した〈門〉が崩れ落ちない理由とも同じ地平にある。そして、ヴァルザーのあのもつれたような歩み、ため息のような笑い、透きとおるような言葉とも同じ地平にある。
 『掟の門』において、死のまぎわまで、男は自分がいかにして〈門〉を通るか、なぜ自分は通ることができないのか、ということだけが問いであった。ところが、最後の問い、「どうして私以外の誰ひとり」「来なかったのか」とは、他者への問いである。それはいままさに死ぬという最弱の底に降りてのみ開かれる問いである。そして、そこにおいてのみ響く答え、「おまえひとりのためのもの」。致命的な皮肉が煌めくその瞬間、〈門〉は開く可能性を黙示する。」
(nos/unspiritualized「門の後」)
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