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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<プロヴァンスの系譜

「『神曲』は、完全に外面だけを見れば、一種のこの上なく雄大な高山の旅を詳細に綴った記録なのです。地獄では、涯ない底なしの深淵へと向かう、死の危険に購われた下降、向こうみずな登攀と迂回による中断、煉獄では最後の力を振り絞った登り、そのかたわら、やがて天堂の幻想的な奇蹟が、重圧から解き放たれ光の渦に包み込まれつつ、広大に繰り展げられてゆきます。全体の三文の二を占める決定的な部分を貫いているのは、何より精確な私的経験と細部に向けられたきわめて鋭い観察を拠りどころとした、所与にして不可避な地球物理学的-生物地理学的状況の描写です。ダンテはこれをごく些細な点まで不気味なほど知り抜いていました。追い立てられ逃げまわりつつ、彼は山道ばかりか獣道や近道をたどって、高きアッペンニーノを幾度となく越えなくてはなりませんでした。道と目標と我が身の安全とを思って震え怯え、方向を見失い探索し、身を隠し、錯覚し、錯覚を覚悟しなくてはなりませんでした。彼の地獄と浄罪山は、さまざまな情緒の徴候のもとで眺め、体験したアッペンニーノ山脈にほかなりません。彼の描く永劫の罰を受けている罪びとらは、山村の住民のようにコムーネや小コムーネに集い住まっています。彼の贖罪者たちは、大きなカーヴを描きつつ登って行く街道沿いの、高山の集落の住民です。人の密集した定住地から人影のまばらな地域へ、不毛の斜面から最後の高原の処女林へ、草地の植物帯へ、アルプスの花畑へ、樹林帯の限界点へ、丈低い草木の間を縫って湧き出る清冽な山の清水へと至る推移を、彼はこれら風景の形態のあらゆる性格特徴とともに描写しました。彼は詩人であり、雄弁家ではないので、何ひとつ敷衍したり一般化したり、あるいは近似値のままにしておいたりはしません。一切をこの上なく現実的な特殊な名で名づけ、これらの精密さの法則が彼の文体法則となります。彼がそうできたのは、比類ない二つの事情のおかげでした。つまり、彼をトスカーナ人に、山岳民族の息子に、丘陵地に発生しそこに適合した方言の、そしてこの風土から発展してきたこよなく繊細な感覚的な語彙と想像力の宝の後継者にした、彼の生まれ。さらにもうひとつは、アルノー・ダニエル〔十二世紀末に活躍したトルバドゥール〕と《晦渋韻》を引き継いだ、彼の歴史的位置。これなくしては、初期抒情詩の言語慣習を突破して生来の能力を自由に使いこなせるにまで至るのは、およそ無理な話だったでしょう。押韻語を越えてさらに深く遡行しつつ効果を及ぼし、語彙と語の選択とを根本から破壊し刷新する、《リーマ・カーラ》とアルノーによるその原則的使用は、プロヴァンスにとっては唯一の、西欧の詩的実践にとっては測り知れぬほど多大な影響を及ぼした、中世の文体世界の革命であり、その偉大な発見者を、それにもまして偉大なその受益者に、したがって世界に結びつけているのです。文法的な同音韻に縛られ、狭い詩脚上で悪戦苦闘しながら常用の文彩のモティーフに編み込まれている文体世界とともに、ヴァリエーションの諸形式によって単調さと紙一重のところで試作し造形するのは、単に《厳密に中世的な》作業にすぎませんでした。ところが、雅びやかでない忌み嫌われた語が韻に許可されるにつれて、韻を介して詩句の言葉と想像力の狭い小部屋に世界が押入り、韻が文体法則を宣するや、溢れんばかりの新しい魂とその魂の自由に羽ばたける空間への測り知れぬ希求とが、この小部屋の壁からほとばしり出ました。アルノーを介してはじめてダンテは、彼の普遍的な計画の求めるとおり、己れのあらゆる能力に己れ自身が優位に立ち、これを思うがままに司る勇気を手にできました。『最高の解釈』の姓氏不詳の著者に、私は韻に考えを支配されるようなことは決してない、むしろ考えに無理やり韻を吐き出させるのだ、と述べたとき、彼はこの卓越した対照法に、アルノーの成し遂げた大胆な突破に含まれていた文体の時代の外延を、正確に表現していたのでした。」
(ルードルフ・ボルヒャルト「ダンテのための後書きII」)
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