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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<寓話>>>>越えられない壁>>>>小説

「遺されたカフカのノートの類から思弁的な結論を引き出す容易さに比べれば、彼の物語や小説に現われるさまざまなモティーフの、たったひとつを究めることさえやさしくはない。しかしこうしたモティーフだけが、カフカの創作を要請した太古の世界の暴力に関して、なにがしかの示唆を与えてくれるのだ。それはもちろん、同じように正当に、現代のわれわれのこの世界の暴力とも見なせるものである。そして、カフカ自身にはそれがどちらの名前で現われたか、誰が言えるだろうか。ただ次のことだけは確かである。彼はこの暴力のなかでどうしてよいか分からなかった。彼はこの暴力をそれとして知らなかった。彼はただ、太古の世界が彼に罪という姿で差し出した鏡のなかに、未来が裁きという姿で現われるのを見たのだ。けれどもひとがこの裁きをどう考えるべきかということ──それは最後の審判ではないのか? そのとき裁判官は被告となるのではないのか? 訴訟手続きとはそれ自体すでに罰なのではないのか?──それにはカフカは何の答えも与えなかった。彼は答えから何かを期待しただろうか。それともむしろ、彼には答えを遅らせることが大事だったのではなかったか。彼がわれわれに残した物語において、叙事文学は、シャハラザード〔『千一夜物語』の語り手〕が語るときにもっていた意味、つまり来るはずのものを先へ延ばすという意味を再び獲得する。引き延ばしは『訴訟』における被告人の希望──すなわち訴訟手続きが徐々に判決へ移行しないでほしいという希望──である。族長アブラハムその人にとっても、引き延ばしは役に立つのだとカフカは言う。たとえ彼がその代わりに、先祖伝来の地位を手放さねばならないとしても。「ぼくはもうひとりの別のアブラハムを考えてみることができるかもしれない。もちろん彼はとても族長になど出世しはしないだろう。古着商にすらなれないだろう。彼は生贄の要求をすぐさま、ボーイのようにいそいそと、満たす心構えができている。でも彼はこの生贄を、やはり捧げることはないだろう。なぜなら彼は家から離れることができない。彼はなくてはならない存在なのだ。家政が彼を必要としている。ひっきりなしに何かきちんとさせなければならないことが出てくる。家は片づかない。しかし家が片づかなければ、この後ろ盾がなければ、彼は出発することができないのだ。このことは聖書も見通していて、こう言っている。『彼は家事の整理をした』」〔一九二一年六月のローベルト・クロプシュトック宛ての手紙〕。
 「ボーイのようにいそいそと」、このアブラハムは出現する。カフカにとってはつねに身振りのなかでだけ、何かを具体的につかみとることができた。そしてこの身振り、彼が理解することはなかったこの身振りが、その寓話の雲のような場所を形づくっている。身振りからカフカの文学は生まれてくる。彼がどんなに作品の発表を控えていたかは知られている。その遺言は、作品を破棄するよう委ねている。カフカを考えるときに避けては通れないこの遺言は次のことを物語っている。彼の文学はその作者を満足させなかった。彼は自分の努力を失敗したものと見なした。彼は自分を、挫折しなければならなかった者たちのひとりに数えていた。挫折したのは、文学を教義へと移行させ、文学に寓話としての堅牢さと目立たなさを回復してやるという、その偉大な試みである。理性に照らしたときに、彼にはそのような文学だけが、唯一ふさわしいものに思われたのだった。「汝偶像を作るべからず」〔『旧約聖書』「出エジプト記」20.4〕という掟を、彼ほど厳密に守った作家はいない。」
(ベンヤミン「せむしの小人」)
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