「これはフーコーも言っていないことなのだが、僕は蛮勇をふるって断言する。〔クロソウスキーの〕あの奇妙な「シミュラークル」(模造)の概念は、ベンヤミンの「アレゴリー」(寓意)から来ているのだ。
ベンヤミンにおいて、「象徴」(シンボル)と「寓意」(アレゴリー)は決定的に異なる。象徴はあらかじめあるものの統合-結果-表象であり、ものの同一性をまさに“象徴”して束ねる結び目だ。ところが、寓意はものをそのもの以外のものへと移転させてしまう。統合をずらし、結果でなくあやうい預言を呼び込み、過去と未来を折り重ねる。同一性を己のうちにブレさせ、総和を乱し、時空を複数化させる「窓」となる。
クロソウスキーの「模造」(シミュラークル)は、「記号」(シーニュ)と対立すると言っていい。こういうことだ。寓意=模造/象徴=記号。フロイト-ラカンが失われた原父による否定神学を、バタイユが神と悪魔の転倒によってグノーシスを招いてしまうのに対し、ベンヤミン-クロソウスキーは古代の野蛮な複数世界を甦らせる。……
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「神」(同一性システム)を否定したり、より大きな別の「神」を召喚したり、「悪魔」を崇めてみたりすることは、実は「神」の同一性をなんら傷つけない。ではどうするか。クロソウスキーの戦略は、「神」も「悪魔」も「異神」も同じでありつつ異なる「模造」であるとすることだ。すると、世界にブレが生じ、同一性は複数性へと転化する。」
(nos/unspiritualized「クロソウスキー・メモ 永劫回帰の複数化」)