「……バロックの詩人たちの試みは、錬金術の達人たちの手つきに似ている。古典古代が遺したものは彼らにとって、そのひとつひとつが、新しい全体を調合するための、いや建築するための、その基本物質なのである。つまり、この新しいものの完璧なる幻影が、廃墟にほかならなかった。さまざまな専門知識、美辞麗句、規則、といったものをいちいちこれ見よがしに引き合いに出すあの技法は、ひとつの建築(Bau[構成])において古典古代の諸要素を過剰に使いこなすことを目指しており、しかもこの建築〔構成〕たるや、それらの諸要素をひとつの全体に統一するのではなく、破壊することによってまるで古典古代の調和をも凌駕している、といった風なのである。この文学は〈発明の術〉と呼ばれねばならない。天才的人間のイメージ、つまり発明術の名人のイメージとは、手本を思いのまま絶妙に使いこなせる腕の持主のそれであった。〈想像力〉、すなわち近代に言う意味での創造的能力は、諸精神の序列を測る尺度としては知られていなかった。……しかし、この意味関連で言うならば、当時の文法家の目に映っていたドイツ語とは、ほかでもなく、古典古代の手本と並ぶもうひとつの〈自然〉なのである。このもうひとつの〈自然〉について当時の人びとがもっていた見解を、ハンカマーは、「言語という自然は、物質的自然と同じく、すでにすべての秘密を含んでいる」(パウル・ハンカマー『言語──十六世紀および十七世紀におけるその概念と解釈』)、と説明している。詩人は「この言語という自然にいかなる力も与えないし、自己を表現するこの自立的創造力をもった魂から、いかなる新しい真理も創り出しはしない」(同前)。たんなる全体が、ではなく、この全体をはっきりそれとわかるように構成してみせることが、すべての意図された効果の核心であったのだとすれば、詩人は、言葉を組み合わせる手つきを、なにもひた隠しにするにはおよばないわけである。そういった次第で、構成が、とりわけカルデロン(一六〇〇〜八一年。スペインの劇作家)において、化粧漆喰の剥げ落ちた建物の煉瓦積みの壁のように露出し、これ見よがしに誇示されることになる。こうして、自然はこの時代の詩人たちにとっても偉大な師であり続けた、とそう言いたければ言ってもよい。だが彼らにとって自然は、自然のもろもろの被造物の、蕾や花にではなく爛熟と凋落のなかにこそ立ち現われる。自然は、永遠の移ろいとして彼らの念頭に浮かんでおり、この移ろいのなかにのみ、当時の人びとの土星的なまなざしは、歴史をそれと認めたのである。」
(ベンヤミン「アレゴリーとバロック悲劇[1]」)