忍者ブログ

Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<Re: まなざす=まなざされる

「代表作と言われる『眼のある風景』については、これまでもシュルレアリスムの影響を盛んに指摘されてきた。なにせ、不気味な形象の風景の真ん中に、目玉が描かれ、こちらを見つめているのである。今回の展覧会の主張は、それが単なる西洋の模倣ではなく、一連のライオンの写生から生まれたものだ、というものだ(風景の形象は実際ライオンのそれに酷似している)。それは正しい。だが、いまだ本質をそれている。
 靉光は描く対象を探していた。思想的な主題を求めていたわけじゃない。それと向かい合うことで、世界をまるごととらえられるような、力強く大きな存在感を探していたのだ。それが上野動物園で見かけた、ライオンだった。
 ところが、ライオンと徹底的に向き合ううち、奇妙なことに気づいた。えぐるように見つめていた対象のうちに、えぐるようにこちらを見つめる〈眼〉に気づいたのだ。……別に、「眼」というものを描きたいからああなったのではない。ライオンという強烈な対象を見つめることを通して、世界に触れた時、彼はそこに己を見返すまなざしを見つけた。だから、あれは世界の「風景」なのである。だから、あれは「眼のある風景」なのである。肉切れそのものがキャンパスに打ちつけられているかのような異様なマッス感は、まさしく世界の肉に触れるまで切迫した、見詰め合うまなざしの緊張から生まれている。
 一方で、靉光は墨による、銅版画かと見まがう異様に繊細で鋭い作品も制作している。特に目をひくのが『二重像』だ。『眼のある風景』と『二重像』との振幅、これが彼のすごいところ。この奇妙な自画像は、その名のとおり二重にブレている。また、何かの部品や鉱物のようなモノたちが、身体の部分とからみあい、同化し、はみだしている。むろんのこと、これをシュレアレスム云々で片付けてはいけない。「世界の肉」をまなざしたまなざしが、逆転して己を見つめた時、何が起こるか? この絵はその事件を示しているのだ。
 世界にまなざしをまなざすまなざしは、己にブレを見る。……無意識、と言ってもいいが、ユング的に受け取られると誤解になるので、気をつけねばならない。あくまでフロイト=ラカンにおける無意識だ。デリダなら痕跡、とでもいうところのものだ。それが、『二重像』にずるりと描かれている。身体がモノと混ざりあっているのは、ここにおいてはじめて、世界の身体と己の身体が同じであることが照り明かされているからだ。だから、そのようなまなざしは、風景に己の肉体を見出す。眼を見出す。手を見出す。皮膚を、血管を、内臓を、骨を見出す。自己が外側に裏返るのだ。靉光の静物画においても肉体の断片のモチーフが描かれるのもそういうわけだ。本当に、世界と自分が混ざり合っているのだ。」
(nos/unspiritualized「靉光、世界の肉とまなざし」)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
trounoir
性別:
非公開

P R