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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<eine komplementäre Welt

「カフカの作品は、一方に神秘的経験(これはとりわけ伝統の経験である)、他方に現代の大都市に住む人間の経験〔(貧しい)体験〕という二つの遠く離れた焦点をもつ楕円だ。もし僕が現代の大都市に住む人間の経験〔体験〕から語るならば、僕はさまざまなものをその中に含める。僕は一方で、計り知れない官僚機構に取り込まれていることを知っている現代の公民について語る。官僚機構の機能は主務官庁に操作されているのだが、主務官庁がどこなのかは、官僚機構によって扱われる人にはもとより、その執行機関自体にさえもはっきりしていない(カフカの小説の、とくに『審判』のもつ意味の一つがこの点に含まれていることは、よく知られている)。他方で僕は、現代の大都市に住む人間たちの中でも、僕たちの同時代の物理学者たちの意見も同じように聞いている。エディントンの『物理学の世界像』の次のような文章を読んでみたまえ、カフカの声を聞いているかとさえ思えるものだ。

私は、自分の部屋に入ろうとして扉の敷居を踏もうとする。ところが、これは何とも複雑な試みなのである。第一に、私は、私の身体一平方センチ当たりに一キログラムの圧力をかける大気に抗して戦わねばならない。さらに、太陽の周りを秒速三十キロメートルの速度で飛んでいる敷居板の上に着地する試みを行わねばならない。一秒でも遅れると、敷居板はすでに何マイルも先に飛んで行っている。この芸当をしながら、一方では球形の惑星にしがみつき、頭を外部の大気中に突き出しているのだが、どれだけの風速なのか分からないエテールの流れが私の身体のあらゆる毛穴を吹き抜けて行く。敷居板も頑丈な物質ではない。それを踏むということは、蠅の群れを踏むことなのだ。踏み抜けてしまうのではないか。そうはならない。というのも、私があえて蠅の群れに足を乗せると、蠅の一匹が私にぶつかってきて、私を上方へと突き上げるからだ。さらに体重をかけると、別の蠅が私を上方へ投げ上げる。そうしたことが際限なく続く。そこで私は絶えずほぼ同じ高さにいるのだという総合結果を期待することができる。しかしそれにもかかわらず不幸にして床を踏み抜いて下へ落ちるか、ないしは激しく突き上げられて天井まで飛ぶようなことになるとしても、この事故は決して自然法則に背くのではなく、単に偶然が異常なまでに重なり合ったにすぎない。……
 どんな文献でも、これと同じ程度にカフカの姿勢を見せてくれる箇所はないと僕は思う。この物理学のアポリアのほとんどすべての箇所にカフカの散文作品中の文章を難なく付け加えることができよう。そしてこれは、「この上なく不可解なもの」の多くがここで起こっているという事実を証明している。だから、僕が今言ったように、現代物理学に対応するカフカの体験は彼の神秘的な経験と激しい緊張関係にあったと言うだけなら、これは半分の真理しか言っていないことになる。カフカにおいて、そもそも、そして厳密な意味で気違いじみているところは、こうした最新の経験〔体験〕世界が、ほかならぬ神秘的な伝統を通してカフカのところまでもち来たらされたという点である。むろんこれは、伝統の内部に壊滅的な出来事が生じていないのであれば、ありえなかったことだ。かいつまんで言えば、もし一個人(フランツ・カフカという名の個人)が、例えば現代物理学においては理論的に、戦争技術においては実用的に投影されるあの現実、つまり我々の現実、と対決する場合には、訴えるとすればこうした伝統の力より他には何もありえなかったのは明らかだ。僕が言いたいのは、こうした現実は個人にはもはや経験されえなくなっていること、そしてしばしば極めて快活で天使が溢れているカフカの世界は、この惑星の住民を大量に処分しようとする彼の時代を裏側から支えるためになくてはならぬものだということだ。個人的人間としてのカフカの経験に対応するものは、おそらくは大衆が大量に処分されそうになっている時代になって初めて、彼ら大衆から期待されることになるのだろう。
 カフカは裏側の世界(eine komplementäre Welt)に生きている。……カフカは、自分を取り巻いていたものには気付かなかったが、裏側にあるものには気付いていた。彼は今日あるものに気付かなかったが、やがて来るものには気付いていたと言うとすれば、彼はやがて来るものに襲われた個としてそれに本質的に気付いているのだと付け加えねばなるまい。恐怖に取り付かれた彼の態度の助けとなるものは、カタストローフとは無縁な、素晴らしい活動空間なのだ。しかしカフカの経験の根底には、彼が身を委ねていた伝統があった。先を見る目ないし「予見能力」はそこにはなかった。カフカは伝統に耳を傾けていた。じっと耳を澄ましている者の目には何ものも見えない。
 こうして耳を澄まして聞くのは骨が折れる。漠たるものしか耳に届いてこないからだ。ここには学ぶことのできる教えはなく、保持できる知もない。飛び交う中でさっと捕らえようとしても、耳では確認できないものばかりだ。ここにカフカの作品のネガティヴな特徴を強く示す事実が含まれている(彼のネガティヴな特徴はおそらくそのポジティヴな特徴よりはるかに実り多いものになるだろう)。カフカの作品は伝統が病んでいることを示しているのだ。」
(『ベンヤミン-ショーレム往復書簡 1933-1940』「ベンヤミンよりショーレムへ〔109〕」)
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