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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<脳の収束

「そもそもわれわれはどのようなところに注意を向けるのだろうか。主に、視覚的注意の研究を通じて、文脈に合わないようなものがあったときや、他とは著しく異なる特徴をもっているもののほか、突然何らかの変化が生じた部分などに素早く注意を向けることが知られている。……抽象的に言うと、生起確率が小さいと思われていた事象が生じた場合に、素早くその部分に注意を向けると指摘できるかもしれない。これは、情報科学の分野ではシャノンのサプライズとよばれ、このような考えを新規性検出仮説と言う。また、人間を含むすべての動物は、環境に対してサプライズが小さくなるように学習する(つまり生起確率を学習する)ようになっている。
 しかし最近、学習効果によって信念が時間とともに変化するダイナミックな状況においては、注意の現象が別の観点でよりよく理解できることが明らかにされつつある。それは、注意を払ったときに自己の信念の書き換えの度合いが大きくなるところに注意を向けると考えたほうがよいということである。一般に、何らかのデータを観測した前後での知識の変化、あるいは信念の変化の度合いが大きい場合、ベイズサプライズが大きいと言う。このベイズのサプライズが大きいところに注意を向けると考えたほうがよいようである。
 この(注意を向ける)事前と(注意を向けた)事後の知識の差は、カルバック・ライブラー情報量とよばれる式で計算することができる。言い換えると、予測と実際に起こったものの差、すなわち予測誤差を表している。これはすでに述べた知覚や感情における予測誤差と同一のものである〔予測信号──期待ないしは信念──と実際の感覚フィードバックを照合し、その誤差がないか小さいものであれば、高い自己主体感が得られる〕。だから、予測誤差の小さいところには注意を払わず、大きいところに注意を向けるということになる。言い換えれば予測と大きく違ったところに注意を払うのである。これはより主体性を考慮した注意のモデルと言える。一般に、カルバック・ライブラー情報量は、2つの確率分布の非類似度(距離のようなものだが、対称性を満たさないので距離とは言わない)となっている。」
(乾敏郎『感情とはそもそも何なのか』)
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