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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<das Manの小説

「ほかの人びとと共に、彼らのために、そして彼らに対して取りあげた仕事にたずさわっている配慮のなかには、ほかの人びととの差別についての気遣いがたえずひそんでいる。それは、彼らに対する差別を埋め合わせしたいというだけの気遣いであることもあれば、また、ほかの人びとに較べて立ちおくれている自分の現存在を、彼らとつり合いのとれるところまで持ち上げたいという気遣いであることもあり、あるいは、ほかの人びとに立ちまさっている現存在が、彼らを抑えつづけようと腐心していることもある。相互存在は──みずからそれとさとることなく──こういう較差への気遣いで落ち着かずにいる。実存論的に言い表わすと、それは疎外性[Absändigkeit]という性格をそなえている。このありかたは、日常的な現存在自身には目立たずにいるが、実はそれだけ執拗に根深くはたらいている。
 共同存在にはこのような疎外性がぞくしているということは、とりもなおさず、現存在は日常的相互存在としては、ほかの人びとに隷属しているということを意味する。現存在がみずから存在しているのではなく、ほかの人びとが彼から存在を取りあげてしまったのである。ほかの人びとの思惑が、現存在のさまざまな日常的存在様式を操っている。そのさい、この「ほかの人びと」とは、特定のほかの人びとのことではない。むしろ反対に、どの他人でもそれを代表することができる。重要なことは、共同存在としての現存在が知らず知らず受け入れてしまった、ほかの人びとの目立たない支配ということである。だれでもみな、自分もほかの人びとに加わっていて、その支配力を強化している。それでも、ひとは自分がその仲間に入っていることを隠そうとして「ほかの人びと」と言うけれども、それは実は、日常的な相互存在において、さしあたってたいてい「そこに居る」人びとのことである。その誰かは、この人でもあの人でもなく、ひと自身でもなく、幾人かの人びとでもなく、すべての人びとの総和でもない。その「誰か」は、特にだれということもできない中性的なもの、世人[das Man]である。」
(ハイデガー『存在と時間 第一部第一編第四章』)
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