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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<医学=美学

「中野〔重治〕は「ノオト九」後半で川上冬崖のほか服部雪斎にも言及している。
 雪斎の『目八譜』の貝の写生図は博物誌的な観点から様々な貝の外観を写生した科学的な図譜だが、中野は高橋由一の作品に「服部雪斎との近似」をほのめかしている。……
 昭和十六年の中野の日記終わりの「此の年の感想欄」に「『徳川時代の科学』──貝の写生図──芸術の心なくてはかかる図は叶うまじ」というメモがある。科学的に見える図が実は芸術として描かれたのだと言っているのではない。美を狙って描いたのではなくただひたすらに科学的な眼をもって描かれた図譜に、はからずも美が宿っている事実に驚いているのである。「芸術の心」とは、そのようなかたちで美をもたらす科学的な眼、すなわち「物をその長さ、幅、奥行き、面積、体積、重量において測る」精神にほかならない。
 …………
 科学・技術と美術・芸術とが美学的に判別されない状態の絵画想像力の起源が十八世紀後半に見出されうるということは注目に値する。ひとつには、それがカント(一七二四〜一八〇四)の同時代だという観点からである。
 …………
 カントにおける「美的判断」の不在は、科学・技術の知と判別されないかぎりにおいて、カント以前の「芸術史上の偉大な時代」(たとえば古代ギリシアや中世)における「美的判断」の不在とも異なる。一八〇〇年前後、芸術はまだ「美」以外の価値によって支えられていたが、それはもはや「宗教的」な価値ではありえず、もっぱら「世俗的」な機能、とりわけ物を測定して計量しようとする科学的・技術的な知であった。
 十九世紀に入ると、「美的判別」により両方の価値が分離して芸術はもっぱら「美」という価値を尺度にしてはかられる。芸術は美術として技術から区別されて評価される。それは、近代絵画の価値が石版印刷という複製技術によって用意されているにもかかわらず、それを評価する美学が「石」をカッコの外に括り出してしまう過程でもある。これに対し、中野が写生の起源を論じて掴もうとしているのは、芸術が必ずしも美的に判別されず、テクノロジーと不可分のまま緊張を孕んでいるあり方である。芸術のこのあり方はシラー的な「美的判別」に基づく芸術観(ロマン主義)に対置される。
 …………
 たとえば、美ということを意識せず、ただ「鮭への迫真に物狂いのようになっている」高橋由一にとって鮭は「物自体」である。この場合、物自体は、中野が示しているように、芸術の対象であると同時に「すべて事と物とをそのものに即して見かつ測る精神」の対象でもある存在、逆から言えば、美術・芸術の対象であるのか科学・技術の対象であるのかを区別することができないような事物である。
 美という価値体系ではカッコ入れできずに何かが残る。逆に、それを科学と技術をあげて真という価値体系でカッコ入れしようとすると今度はべつの何かが括りきられずに残る。高橋由一が鮭や花魁を描いて物狂いのように迫っているのは、そのような「実在」である。写生とは、どの方面からのカッコ入れにも残留してこぼれ落ちる「物自体」に対する「迫真」の試みなのである。」
(山城むつみ『転形期の思考』)
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