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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<メルヒェン遊び

「私が繰り返し体験したところでは、作品を通してだけカフカを知っている崇拝者たちは、彼のことをまるで誤解しているのだ。この崇拝者たちはカフカが人とつきあう場合でも物悲しい印象、いやそれどころか絶望的な印象を相手に与えたに違いないと考えているのだ。ところが実際は正反対なのだ。カフカの傍にいると楽しかった。彼の豊かな思想は、たいていの場合明朗な調子を帯びた言葉となり、どんなに点数をからくしても、カフカを──その慎ましやかさ、その平静さにもかかわらず──私がいままでに出会ったもっとも面白い人々の一人に数えないわけにはいかないのである。口数が少なく、大勢人が集まったところでは何時間ものあいだ何も言わないことが多かった。しかし、ひとたび口を開くと、たちまち人の注意を集めた。内容がいつも豊かであり、ぴったり的を射ていたからである。それから、うちとけた会話ではまったくびっくりするほど舌が廻り、興奮したり夢中になったりすることがあった。そうなって来ると、冗談も笑いも果てしがなかった。実際カフカは笑うのが好きで、笑うときには本当におかしがって笑い、友人たちを笑わせることも知っていた。……カフカの作品、なかでも日記から得られるカフカ像というものは、彼と共にその日その日を送った人間の体験から得た印象で訂正補足した場合にくらべてみると、まるで違った、もっとずっと陰鬱なものになるかもしれない。──このことも、私がこの回想記を書き下ろす気になったひとつの動機なのである。私たち仲間の記憶にとどめられているカフカの生きた姿が、いまや彼の作品の傍に並び立ち、カフカを総合的に判断するための資料になろうとしているのだ。陽気な気分の時、カフカは私と二人でよく幻想的なメルヒェンや、奇妙な計画などの話の糸を紡いだのである。奇妙な計画については、のちにわれわれ二人のスイス旅行を叙述する段になってひとつ例(「倹約旅行シリーズ」)を御紹介しよう。カフカはそんな幻想を大きな執着をもって積み上げてゆき、あまり可愛いので私がどうしてもさからえないようなわがままをとおしては、繰り返しこの幻想遊びに手を着け、ユーモアの色合いを添えたり、一種独特なふざけたおもいつきを添えたりして、絶えず幻想を生き生きとさせたのだった。カフカの作品を読むと、カフカの一風変った創造力の中に、この種の遊び半分に積み上げていく傾向があるのに気付くだろう。われわれはけっしてカフカのこの傾向を無視してはならない。ところで私には、この点に関しては、カフカの妹オットラが兄によく似ていたように思われる。つまり、生き生きと、きわめて細部にまで行きわたってふざけられるというのは、ある意味でカフカ家の人全員に共通していたのである。……〔カフカの〕日記には大して重要でもない人の──たとえば列車の中で向いに坐った人とか、通りすがりの人とかの──外見や容貌が何ページにもわたって記録されている。このような興味と密接にからみあって、彼一流の皮肉が終始一貫して現われる。カフカの作品(「流刑地にて」「むちうつ人」など)の中のもっとも恐ろしい場面でさえも、あたりを包んでいるのは穿さく的な興味とデリケートな皮肉の間にかもし出されるあの不思議にぼんやりとしたユーモアである。……」
(マックス・ブロート『フランツ・カフカ』)
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