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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<統合が失調してゐる

「ずいぶん長いあいだお便りしませんでした、ミレナさま。今日お手紙を差し上げるのも偶然のもたらす結果でしかありません。筆不精をお詫びする必要もないでしょう。ご存じのとおり、私は手紙が大嫌いですから。私の人生の不幸は……こう言ってよければ全部手紙のせいです。あるいは手紙を書く可能性のせいです。人間に騙されたことは数えるほどもありませんが、手紙にはいつも騙されてきました。他人の手紙だけではなくて、自分の手紙にもです。私のケースは特殊な不幸で、これ以上お話しする気はありません。しかし同時に一般的な不幸でもあります。手紙が簡単に書けてしまう可能性は──純粋に理論的に見て──恐るべき心の荒廃をこの世にもたらしました。手紙というものは、幽霊と交信するようなものです。宛先の人の幽霊だけでなく、自分自身の幽霊とも交信するはめになるのです。手紙を書いていると、書いているその手の下で幽霊が生まれ、育ちます。一通だけならまだしも文通が続くと、一つの手紙が別の手紙の根拠になり、別の手紙を証人として次々と呼び出すようになります。人間同士が手紙で交信できるなどと、なぜ思ってしまったのでしょう! 遠くにいる人を想うことはできる。近くにいる人を抱くことはできる。それ以外はすべて、人間の力が及ばないことです。手紙を書くというのは幽霊に対して無防備になることで、それを幽霊どもは手ぐすね引いて待っているのです。手紙に書かれたキスは宛先には届きません。途中で幽霊どもに吸い尽くされるからです。この栄養豊富なエキスのおかげで幽霊どもはますます繁殖し、前代未聞の数に達します。人類はこれを感じ取り、反攻を開始しました。人と人とのあいだに幽霊めいたものがはびこるのを可能なかぎり阻止するため、そして人と人の自然な交わりを、心の平和を守るため、人類は鉄道を、自動車を、飛行機を発明したのです。しかし役には立っていません。こうした発明品は、どうやら墜落中に慌てて作ったものでしかないようです。敵の陣営はもっと強くて余裕たっぷり、郵便の次は電報を発明しました。電話を、無線通信を。これから先も幽霊たちが飢えることはなく、私たちは滅びに向かうでしょう。
 このことをまだ記事になさっていないのが不思議なくらいです。記事にして発表したからといって、何かを阻止したり挽回したりできるわけではないでしょう。もう手遅れです。しかし少なくとも、正体を見破ったぞと「やつら」に教えてやることはできます。
 ところで、「やつら」の正体を見破るには、例外に着目するのも有効です。つまり、ときどき連中の警戒網をすり抜けて本当に手紙が届くことがあるのです。そんな手紙はまるで優しい手のように、ふわりと温かくこちらの手の中に舞い降ります。いや、もしかすると、それすらも見せかけで、そういったケースが一番危険なのかもしれませんね。普段以上に気をつけるべきなのかも。もしこれが偽装工作なのだとしたら、それはもう完璧な偽装工作だとしか言いようがありません。」
(フランツ・カフカ「ミレナ・ポラック宛書簡(一九二〇年九月十八/十九/二十日)」)
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