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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<一条と九条

「『トーテムとタブー』のフロイトは、フレイザーの著作などに拠りながら、トーテミズムと呼ばれる祖先崇拝の起源を、子供たち兄弟による全一致の「父殺し」あるいは「王殺し」に求めている。女を独占していた父の殺害によって、女の公平な分配がおこなわれ、インセストタブーの法が設立され、平和が訪れたという、このあまりに知られた「ほら話」を紹介するのもためらわれるが、……フロイトを参照しなくとも、八・一五革命説〔明治憲法から戦後憲法への移行を敗戦を機にした非合法な革命と捉える学説。単なる合法的な改正ではありえない戦後憲法への移行を説明するため、丸山眞男を含む多くの学者によって提唱された〕は、そこで「父殺し」(あるいは「王殺し」)があったと想定しなければ成り立たない。それがフランス革命をモデルとしていることは明らかだからである。近代天皇制における「不死の身体」たる一系の天皇は、どう考えても、「父」あるいは「王」としては、何を考えているかわからないがゆえに「超自我」であった(その意味で、「資本」という「超自我」に似ているわけである)。慈愛に満ちた英明な啓蒙君主であるかと思えば、精神状態を疑われ、戦争や飢餓に「国民」を追いやりもした。婚姻も華族制度の枠内でなされ、インセストタブーは破られていると見なされていた。臣民からは理解不能であるがゆえに、それは全知の他者であり、国家神道がそうであったように「祖神」たるアマテラスは荒ぶるスサノヲをも統括していたのである。……
 このような「父」=「王」に対して、フランス革命に倣って、国民が全員一致で「王殺し」を遂行したと見なすのが、八・一五革命説でなければならない。そこにおいて、はじめて全知で理解不可能な父の荒ぶる支配に代わる「平和」が訪れるはずだからである。「日本国民」はいつそれを遂行したのか。これまた言うまでもなく、国民がはじめて敗北を知ったと見なされている八月一五日でなければならない。
 …………
 では、その「王殺し」は敗戦においてどのように表現されてきただろうか。一九四五年八月一七日、「戦後」(と、とりあえず言っておく)最初の内閣総理大臣に天皇から任じられた東久邇宮稔彦は、記者団を前に、いわゆる「一億総懺悔」を唱えた。これは、戦争指導者の政治責任を拡散し、事実上免責する言説として、今なおきわめて評判の悪いものだが、「王殺し」を遂行した「息子の罪意識」(フロイト)を──これまたフロイト的な意味で──言い間違えたものとして捉えれば、得心がいく。東久邇はそこで、敗戦の理由を、政府の政策が悪いことはもちろんだが、「国民の道義がすたれた」ことにも求め、「神の御前に」立って総懺悔することを主張したのであった。懺悔とは「王殺し」への懺悔である。
 …………
 以上のように捉えることで、戦後の「平和」も把握できる。それは、「羨望されるとともに畏怖される模範像」としてあり、時には慈愛にも満ちた超自我たる王=父を殺害した後に訪れる共同体内の、つまりは一国的な平和である。しかし、王を殺害したことの悔恨は、それをトーテム=象徴として祀ることになる。戦後憲法の一条以下の天皇条項と九条とは、このようにしてリンクしている。」
(スガ秀実+木藤亮太『アナキスト民俗学』)
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