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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<自然描写の異常進化5

「これらの写真において、支保工〔トンネル等の土木工事において上または横からの荷重を支えるために用いる仮設構造物〕は写真そのものの可能性を支えている。言い換えれば支保工は、視覚的かつ物理的に写真の「フレーム」をなしている。支保工によって空間が確保されなければ視覚は可能ではなく、撮影も可能ではないからだ。ここでは視覚的認識の可能性の条件が、周囲の土圧に抵抗する技術の物理的実践に埋め込まれている。そのことがひるがえって、事物の客観的な記録であるこれらの写真に、一種の「身体化された主観性」を与えている。つまり支保工は、その内部に置かれた身体の存在可能性に直結しているため、半ば身体化され、情動性を帯びているように見える。写真を見る私もまた、撮影者の視界と接続するかぎりで支保工と連結し、自分が圧されるような息苦しさを感じている。
 もちろん、圧迫されうるのは撮影者や坑夫であってこの私ではない。そして写真に写るのは変形されたモノであって、圧力それ自体ではない。海中写真に水圧は写らず、写真を見る私が溺れ死ぬことはないのと同様に。だが写し出された支保工の布置と変形は、空間が支えきれなくなりうることを伝えており、可能ではなかったかもしれないこれらの写真の内部に、強い受動性の感覚を与えている。……
 トンネル内において、身体は物理的な押し潰され可能性にさらされている。最初の落盤事故について『丹那トンネルの話』はこう伝えている。「救助隊の人々は其の当時、烏賊の丸煮[……]などは食べられませんでした。何故烏賊の丸煮や何かが喰べられなかつたかと云ふと、これも悲惨な話ですが、埋没圧死者のH君は、支保工材に頭の頂点を垂直に押され、為に頭も顔もみな両肩の中に嵌め込まれて仕舞つて、丁度烏賊の丸煮の様な工合になつてゐたのです」。人間は決してモノではない。だが同時に人間は、特定の大きさと形をもつモノでしかありえない。トンネル工事はモノとしての人間に直面させる。」
(平倉圭「断層帯を貫く」)
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