忍者ブログ

Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<苦痛-奴隷の通貨2

「われわれの研究の本筋を再び辿ることにするが、──負い目とか個人的責務という感情は、われわれの見たところによれば、その起源を存在するかぎりの最も古い原始的な個人関係のうちに、すなわち、買い手と売手、債権者と債務者の間の関係のうちにもっている。ここで初めて個人が個人に対峙し、ここで初めて個人が個人に対比された。この関係がすでに多少でも認められないほどに低度な文明というものは、未だに見出されないのである。値を付ける、価値を量る、等価物を案出し、交換する──これらのことは、人間の最も原初的な思惟を先入主として支配しており、従ってある意味では思惟そのものになっているほどだ。最も古い種類の明敏さはここで育てられた。人間の矜持、他の畜類に対する優越感の最初の萌芽も同じくここに求められるであろう。事によると、《Mensch》〔人間〕(《manas》〔サンスクリットで、普通に「意」と訳する〕)というわれわれの言葉もやはり、ほかならぬこの自己感情のあるものを表現しているのかもしれない。人間は価値を量る存在、評価し、量定する存在、「本来価値を査定する動物」として自らを特色づけた。売買はその心理的な付属物とともに、いかなる社会的体制や結合よりも古い。交換・契約・負債・権利・義務・決済などの感情の萌芽は──力と力とを比較したり、力を力で計量したり、算定したりする習慣とともに──むしろまず個人権という最も初歩的な形式から、最も粗笨で最も原初的な社会複合体へ移された。今や眼はこの見方に焦点を合わされた。そして融通は利かないが、しかしまた断乎としてまっしぐらに突き進んで行く古代人類の思惟に特有なあの重厚さをもって、人々はまもなく「事物はそれぞれその価値を有する、一切はその代価を支払われうる」というあの大きな概括に辿り着いた。──これが正義の最も古くかつ最も素朴な道徳的基準であり、地上におけるあらゆる「好意」、あらゆる「公正」、あらゆる「善意」、あらゆる「客観性」の発端である。」
(ニーチェ「第二論文──「負い目」・「良心の疚しさ」・その他」)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
trounoir
性別:
非公開

P R