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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<無の証言

「おそらくあらゆる言葉、あらゆる文字は、証言として生まれるのではないだろうか。だからこそ、それが証言するものは、けっして言葉ではありえず、けっして文字ではありえない。それが証言するものは、証言されないものでしかありえない。そして、これは、欠落から生まれてくる音であり、孤立した者によって話される非-言語である。非-言語を言語が引き受け、非-言語のうちで言語が生まれるのだ。この証言されないものの本性について、証言されないものの非-言語についてこそ、問わなければならない。
 …………
 フルビネクは証言することができない。というのも、かれは言語をもたないからである(かれの発する言葉は、mass-kloもしくはmatiskloという、不確かで意味を欠いた音である)。しかし、かれは「このわたしの言葉を介して証言する」。といっても、生き残って証言する者もまた、完全に証言することはできず、自分のうちにある欠落を語ることはできない。このことが意味するのは、証言とは二つの証言不可能性の出会いであるということ、言語は、証言するためには、非-言語に席をゆずって、証言不可能性をあらわにしなければならないということである。証言の言語とは、もはや意味作用をおこなわない言語である。が、それはまた、それ自身の非意味作用のもとで言語をもたない者のうちに入りこんで、ついにはひとつの非意味作用を受け取るにいたる。完全な証人の非意味作用、すなわち、定義上証言することのできない者の非意味作用を受け取るにいたるのである。したがって、証言するためには、言語をそれ自身の非-意味にまで、単なる文字列(m-a-s-s-k-l-o、m-a-t-i-s-k-l-o)にまで導いていくだけでは不十分である。その意味を欠いた音は、今度は、まったく別の理由のために証言することのできない何物か、あるいは何者かの声でなければならない。いいかえれば、証言不可能性、人間の言語を構成する「欠落」は、自分自身のうちに深く沈みこんでいって、もうひとつの証言不可能性に席をゆずらなければならない。言語をもたないものの証言不可能性にである。」
(ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』)
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