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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<人文主義的独裁

「わたしはあまり人に好かれなかった。それに、好かれる理由もなかった。ある種の特色、たとえばわたしの芸術趣味は、アテナイでの学生時代には目立たずにすんだし、皇帝としても多かれ少なかれ容認されるものだが、権力の最初の実習期間にある士官や司法官にとっては、どうも都合のわるいものだった。わたしのヘレニズムは人を苦笑させたし、それを下手にひけらかしたり隠したりすると、なおさら憫笑をさそった。……この取るに足らぬ役職にあってわたしが練習せざるをえなかった技術は、後に、皇帝として人びとを謁見するさいに役立った。その技術とは、聴取するわずかな時間のあいだ、それぞれの相手の身になりきって、この銀行家、この帰休兵、この寡婦以外の何ものもしばしこの世に存在しないかのように、世界を白紙にもどすこと、それぞれなんらかの狭い限界内に当然閉じこめられてはいるがかくも種々さまざまな人間に、人が最上の瞬間に自分に向ける礼儀正しい全注意力を向けること、そしてほとんど必ずといっていいくらい、彼らが寓話の蛙のように自分の身をふくれあがらせるためにこの便宜を利用しようとするのを見ること、要するに、彼らの問題や事件について考えるために、本気になって若干の時間をさくことである。それはまた医師の診療室でもあった。わたしはそこで年経た恐ろしい憎悪や、虚偽の癩病を裸にして見たのである。……
 わたしは人間を軽蔑しない。もし軽蔑していたら、人間を支配しようとするいかなる権利も、またいかなる理由もわたしにはないであろう。人間が空しい、無知な、貪欲な、不安な存在であり、成功するために、尊重すべきもの(自分の目から見てでも)となるために、あるいは単に難儀を避けるためにもどんなに大それたことでもやってのけるものだということをわたしは知っている。なぜならわたしも彼らと同じものだからだ。少なくとも、ときとしては彼らと同じものであり、あるいは同じものでありえたからだ。他の人びととわたしとのあいだに認められる相違は、総計において勘定に入れるにはあまりにもわずかである。だからこそわたしは自分の態度がカエサルの傲慢さからも、また哲学者の冷ややかな優越感からも、同じように遠く離れるよう、努力している。もっとも深い闇にとざされた人間にも光明がないわけではない。たとえば金しだいで人を殺すこの男は巧みにフルートを吹くし、奴隷の背を鞭でうちのめし引き裂くこの職人頭は、あるいは孝行息子なのかもしれぬ。この愚鈍な男はわたしに最後の一切れのパンを分け与えてくれるかもしれぬ。何かしらなりの程度に教えこむことのできぬ人間はほとんどないといってよい。われわれの大きな誤りは、各人から、彼がもっていない徳をひき出そうとして、彼がもっている徳を涵養せしめることを無視する点にある。……大多数の人間において、首尾一貫した堅固な善心にめったに出会ったことがないが、それ以上に、徹底した悪心にも出会ったことがない。彼らの猜疑心や、多少とも敵意をふくんだ冷淡さは、同様に長続きのしない感謝や敬意に、ほとんど早すぎるほど、ほとんど恥ずかしいほど、あっけなく早変わりしてしまう。彼らの利己心そのものを、役にたつ目的のために向けることさえできるのだ。」
(マルグリット・ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』)
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