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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<Re: I wish God be with you

「十七歳の女性の姉は、妹を看病するために大学を退め、「良いことだけを考えるよう」「一日に何百回となく」妹に「言いきかせ」ながら、妹が「毎週楽しみに」しているリクエスト番組をベッドの傍で聞くうちに、「修学旅行の時に落としたコンタクト・レンズを捜して」くれた「お礼に」ビーチ・ボーイズのレコードを貸し与えた「僕」のことを思い出して、リクエストをする気になったのであろう。レコードをなくしていた僕は、ディスク・ジョッキーに忠告されてレコード店に行くと、そこが「小指のない女の子」の職場だった(断章12・15)──。かつて「プロット」と呼ばれた物語の糸はずたずたに断たれているものの、記憶の力を研ぎすませば蘇る、その想起によって「それぞれに生きて」いる「いろんな人」は繋がっているのである。「僕の心と誰かの心がすれ違う。やあ、と僕は言う。やあ、と向うも答える。それだけだ。誰も手を上げない。誰も二度と振り返らない」(断章7)と第二作に記される「人間関係」の底を、本当は見えない水脈がめぐっている。恐らくラジオを聴いてはいない「僕」さえディスク・ジョッキーに繋げられていることは、「犬の漫才師」という言葉が「僕」と交わした以前の会話の最中に創られた事実によって明白である。赤の他人である「僕」に対しても、彼は特殊な昨日の経験と初めての思いを「伝え」ようとしている。それ故「僕は・君たちが・好きだ」という言葉は、この男性が束の間感じた「世の中」の「成り立ち」に関する言葉と言うべきである。彼自身が断っているように、彼が流した涙は十七歳の女性に対する同情の涙ではない。既に三年間も「石みたいにベッドに横になった」若者に「同情」することは、人に叶わず人に許されない行為であるからこそ、彼はそういう若者が現実に存在し、「犬の漫才師」のむだ口に希望を託していた事実の前に泣かねばならない。その「事実」自体を救済するのは人の行う業ではないのである。」
(井上義夫『村上春樹と日本の「記憶」』)
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