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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<鬱病治療の政治学

「精神分析は人文科学における解釈理論として今なお余命を保っているものの、臨床の現場では壊滅状態にあるという。……九〇年代にプロザックなどのSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が爆発的な人気で服用されるようになったからだ。従来は薬物治療が困難だったため精神分析の独壇場だった「商圏」がSSRIによって席巻されてしまったのだ。SSRIは、適合すれば服用するだけで即効的に「うつ」が晴れて快活になれる(と大々的に宣伝されていた)わけだから、金も時間もかかるし煩わしい手続きの多い精神分析をわざわざ選ぶ患者はいないのである。かつてはプロザック、今はゾロフトというSSRIが君臨している生政治の帝国にフロイト精神分析の居場所はなくなっている。
 だが、ここに足を止めて考えるべきことがある。フロイトはもともと心理学者ではなく神経病理学の医者だったのだ。彼が生理学研究室や脳解剖学研究室を経て医学博士の学位を得た後の研究で今日から見て注目されるのは、当時ほとんど知られていなかったコカインの医療への利用可能性に関する研究と、失語症に関する研究だろう。何年もの間、周期的なうつ病と疲労、無感動に苦しんでいたフロイトは自分で試してみてコカインが「うつ」を取り除いて活力と勢力を高めてくれ、しかも彼には常習癖も中毒ももたらさなかったことから、モルヒネに代わる無害な代替薬を発見できそうだと確信して研究に没頭するが、病気の友人に投与して恐ろしい常習癖と中毒によってその死を早めてしまうことでこのアルカロイドの恐ろしさを痛感する。神経病理学の医師として開業したとき彼の治療の武器として薬物のほかには電気治療と催眠術があったが、彼はやがてそれらの使用を断念してゆく。そうやって、ついに言葉だけに頼って治療しようとしたときそこから精神分析の地平が拓かれるのだ。その前夜の失語症研究が大脳と言葉の関連についてのものだったのは偶然ではないだろう。フロイトの精神分析は即効性が期待される飛び道具を悉く棄てて言葉の力を再発見したところに生まれて来たのである。ならば、なぜこの神経病理医がこんな遠回りをせねばならなかったのかと問うことなく、ただSSRIの即効性を後ろ盾に精神分析の無効性を断罪しても始まらないだろう。
 そこには、生身の人間を相手にしての治療において治癒とはどういうことなのかについて執拗で厳格な自問自答があったはずである。すくなくとも、それは単に症状が消えるということではなかった。症状が消えても患者自身の内部にある「原因」がそのままなら症状は必ず別の形で再び表れる。しかも、外科ではないから「原因」を見出しても切除してやるというわけにはいかない。フロイトが患者に求めたのは分析医との言葉のやりとり、すなわち対話を通じて患者自身にその「原因」と向き合わせることだった。それは患者にとってしばしば不快で憤激のもととなる手続きだが、フロイトにとって治癒とは、その抵抗を克服し患者自身の内部にあって本人には見えない「原因」を分析医という他者において正視できるようにすること、つまりその強い不快に対する耐性を育てることによって「原因」と患者自身との関係を構造的に変えてしまうことだったのである。」
(山城むつみ「もう一ヶ月もつらいならフロイトへ」)
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