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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<あつまれ どうぶつの市場

「グリーンピースでの確執の事情は知らないし、興味もないが、ポール・ワトソン〔環境保護団体シーシェパードの創設者〕がグリーンピースを批判するつもりで言っているのであろう次のあけすけな発言はそのままシーシェパード自身にも当てはまるはずだ。曰く「世界中の動物のなかでも、たてごとあざらしは一番寄付を集めやすい問題をもっていますね」、「何といっても、あざらしは、イメージとしては売り込み易いしね。ポスターにしたって、ボタンにしたって、シャツにしたって、涙のあふれる眼で、赤ん坊あざらしがじーっとみつめている顔をつけておけば、イメージは最高ですもんね。赤ん坊あざらしは、凍りつかないように、いつも眼が涙で一杯なんですがね。涙のなかの塩が凍りつかなくするんですよ。何っていったって、あざらしの子は美しい、かわいい動物でしょう。そこに、猟師が後から棒をふりかざして襲いかかっている姿がみえれば、そりゃもう、北米大陸中の動物愛好者の涙を絞りとってしまうのは間違いなし」……(一九七八年三月十四日CBCのラジオ番組『このようにしてそれは起こった』でのインタビュー、ジャニス・S・ヘンケ『あざらし戦争』三崎滋子訳より再引用)。
 ワトソンの発言は、一般に環境保護や動物愛護を看板に掲げる非営利団体のヒューマニティが、かりに溢れるほどの善意が彼らにあるとしても実際には何をやってしまっているのかを赤裸々に示している。だから、ここから《環境保護だ、動物愛護だ、NPOだときれいごとで塗り固めているけど実態はえげつなく金集めをやってる利権屋じゃないか、派手に宣伝して正義の味方気取り、英雄気取りでいても、要は金儲けという目的のためには手段を選ばず暴力に訴えるテロリストじゃないか》と彼らの内幕をスッパ抜いて糾弾するのは非常にわかりやすい議論なのだが、悪意を裁くこういう《直言》だけでは何かが欠けているような気がする。
 面白いことに、動物愛護の場合、そういう議論が容易に「政治的に正しい」もうひとつのイデオロギーに結び付く。つまり、《(少数)民族の文化と伝統を尊重し守れ》である。……アザラシなら《動物愛護団体が〔ブリジット・〕バルドーを使って大々的にやった反アザラシ猟の宣伝が功を奏して一九八三年にヨーロッパ共同体がアザラシの毛皮の輸入を全面的に禁止したが、その結果、極北の狩猟民族イヌイットたちの収入が激減して伝統的なアザラシ猟は行われなくなり、この少数民族が古来、守って来た狩猟社会そのものが解体の危機に瀕している、人間の、それもマイノリティの生活を脅かしてまでアザラシを愛護して金を儲ける運動のどこが人間的なのか》的な言い方になるのだ。
 ……ここまで極論してみて、動物愛護派にもその反対派にも欠けているものが見えて来る。そもそもの問題は、狩猟をすること自体、動物を殺すこと自体がいいかわるいかではなかったということだ。人間がアザラシの赤ん坊の頭をハカピック〔金具の付いた棍棒〕で殴って殺す、そのこと自体の残酷性はいいのだ。《いい》と言うか、それは残酷な行為だからダメなことなのだと否定することはできないのだ。いや、それは《できる》けれども《やっても仕方がない》のだ。問題にし得、そして問題にすべきなのは、その残酷な行為をするのが、皮なら皮を剥いでそれを売るためにやっているということなのだ。
 たとえば、毛皮製品製造販売業者がシールスキンのコート一着を四〇〇〇ドルで売るためにはアザラシ生皮加工業者から一枚一六〇ドルの、皮なめしをしたアザラシ皮を六枚、仕入れねばならず、生皮加工業者が毛皮製品製造販売業者に皮なめしをしたアザラシ皮を一枚一六〇ドルで六枚、売るためにはアザラシ猟師から一枚一〇〇ドルのアザラシ生皮を六枚仕入れねばならないとする(浜口尚「カナダ大西洋岸地域における商業アザラシ漁の概括的考察」を参照)。この場合、アザラシ猟師は、生皮加工業者に六枚の生皮を一枚一〇〇ドルで売るために六頭のアザラシの頭をハカピックで殴って殺し、その生皮を剝ぐのである。つまり、ヨーロッパ共同体がアザラシの毛皮製品の輸入を全面的に禁止してイヌイットがアザラシ猟をやらなくなったのは、やっても生皮一枚あたり一〇〇ドルの現金収入にならないからなのだ。現金が入らないと猟に必要なガソリン、等々が買えなくなるからだ。しかし、それで猟をやらなくなるということは、彼らがアザラシ猟をやっていたのは自然史的な必然性〔ライオンがシマウマを狩るのと同様の弱肉強食〕のためでも何でもなかったということではないか。彼らは自然史的な必然性よりも強力な必然性に従ってそれをやったりやらなかったりしているのである。では、《自然史的な必然性よりも強力な必然性》とは何か。アザラシの赤ん坊を撲殺して剥いだその生皮でしかないものが商品になる必然性である。だが、単なる生皮でしかないものを商品にしているのは何か。端的には現金だ。さしあたりそう答えておこう。カネこそが、行為そのものとしてはその残酷性を問題にしようのないアザラシ撲殺を問題のあるものにしているのだ、と。では、カネとは何なのか。」
(山城むつみ「じゃ、悪魔はいるのか?」)
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