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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<疎外だのみの芸術家

「黒田〔寛一〕の推測どおり、吉本〔隆明〕が賞賛する森茂の文章には、すでに黒田的な──しかし、それは吉本とも無縁ではない──疎外論的芸術論が記されていた。吉本の森からの引用は「社会主義リアリズム批判」では長大にわたり、「文学的表現について」では簡潔だが、問題は、両者に重複するところの「貨幣」にあるようだ。後者に引用されているセンテンスを、省略抜きで記しておけば、「貨幣が共同体から人間一般を強引に拉し去ったように、感覚一般から美を無理強いに切り離し、感覚美を労働対象に具現せねばならぬ特殊な人間として芸術家が生まれたその瞬間から、芸術家は、宿命的に世界を背負う人となった」とある。
 ここで言われている「貨幣」は抽象的人間労働を対象化した計算可能性と捉えられ、その対立項として、具体的有用労働が暗黙に前提とされている。そして、具体的有用労働と類推的に、「感覚一般」が同様なものとして同定されているが、資本制はそこから「美を無理強いに切り離し」て「労働対象に具現」してしまう。労働対象はすでに商品化され、貨幣(≒抽象的人間労働)によって数量化されているのだから、「美」も疎外され、資本制においては、芸術は疎外された芸術とならざるをえない。しかし、全的な疎外は全的な解放を要請する。それゆえ、労働者が革命の主体であるのと同様、芸術家は革命の代理=表象(「宿命的に世界を背負う人」!)たりうるのである。
 この「美」の論理が、『美学講義』のヘーゲルが散文芸術(小説)を哲学的革命の代理としたことのマルクス主義的変奏であることは、それに森が自覚的であるかどうかは問わず、見やすい(ちなみに、今日の文学「終焉」問題は、文学が革命の代理=表象たりえなくなったところにある)。しかし、ここで問題にしなければならないのは、抽象的人間労働に対して具体的有用労働を対置するというルカーチ的シェーマ〔疎外論=物象化論〕がそこにあり、森茂も吉本も、そのシェーマを前提にしているということである。森と吉本の分岐は、「宿命的に世界を背負う人」が労働者にどれだけ親和的であるかの問題に過ぎない。そして、森茂は、マルクス主義の常識に照らして、労働者を選択しただけである。労働者の体験がない病弱で盲目のブルジョワの子弟である黒田寛一が、「疎外とは自分のことだ」と誇ったことは、斯界では名言(?)として知られている。これに照らせば、黒田=革共同自身が「宿命的に世界を背負う人」たちであるところの芸術家の組織=「党」なのである。六〇年代アンダーグラウンド文化の担い手でもあった足立正生が、六〇年代初頭の黒田=革共同の動きに注目していたというのも(『映画/革命』)、そう考えれば不思議ではない。黒田=革共同(=革マル派)の周辺には意外に多くの「アヴァンギャルドな」芸術家や芸術理論家が蝟集していた。
 ここで言われている「芸術家」が、「ドレフュス革命」で誕生したボヘミアン的芸術家=「革命的」な「呪われた知識人」と同義であることは言うまでもない。それは、アカデミズムから「疎外」され知識人界の主流からも「疎外」されているがゆえに、「芸術家」であり「革命家」なのである。吉本隆明が丸山真男に象徴されるアカデミズムを嫌悪し、また、六〇年安保後は知識人界から「疎外」されるであろうことを予測して──その予測は杞憂であったわけだが──「試行」を創刊したことは知られている。黒田の「疎外」はそれ以上であったと言ってよい。黒田の時々の感慨を詳細に記した年譜「運動の軌跡」その他に徴せば、黒田のアカデミズムに対する「疎外感」(それは卑下や羨望、そしてその裏返しとしての自負、傲岸として表現される)にはすさまじいものがある。事実、黒田は知識人界からは完璧に「疎外」されてきたと言ってよい。そのような「疎外」こそが、黒田をして予言者的な「宿命的に世界を背負う人」たることを保証しているのである。
 このような──とりわけ、黒田の──「呪われた知識人」のありかたが、「成熟した」市民社会に内在することを目指す構造改革系知識人(市民主義者)の対極にあることは言うまでもない。」
(スガ秀実『吉本隆明の時代』)
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