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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<人文知による解決2

「我々の貧困が、飢餓や地震や戦争のせいなら──物質的なモノやその生産リソースを欠いているなら、繁栄の手段は頑張って働き、節約して、発明する以外にはない。だが実のところ、我々の窮状はろくでもないことだが、別の種類のものなのだ。それは、心の非物質的な装置の欠陥からくるものであり、すでに手持ちのリソースや技術的手段を動かすのに必要な、決断や意志の働きをもたらすはずの、動機の働きの欠陥によるものなのだ。まるで自動車の運転手が二人、高速道路の真ん中で対面して、どちらも交通ルールを知らないためにお互いの横を通過できないようなものだ。彼らの筋力は役に立たない。自動車のエンジニアにも助けられない。道路がよくなってもダメだ。必要なのはちょっとした、ほんの少しだけの明晰な思考で、それ以外のものは何も要らないし、何も役に立たないのだ。
 同じように、我々の問題は筋力や持久力の問題ではない。工学的な問題でもないし、農業的な問題でもない。ビジネス的な問題ですらない。その場合のビジネスというのは、個々の実業家が事業を向上させるような計算や性向や組織行為という話だ。また銀行業の問題でもない。この場合の銀行というのは、永続的なつながりが養われ、不運な約束が避けられるような冷徹な判断の原理や手法という意味だ。そんなものではなく、これは最も厳密な意味での経済的な問題、あるいはもっとよい表現をするなら、経済理論と政治家としての技芸のブレンドという意味で、政治経済の問題なのだ。
 問題の性質に注意を向けたのは、それが対処法の性質を示唆するからだ。この問題からして、対処法は正当にも装置と呼べるものとなる。だが多くの人は装置というものに不信感を抱き、反射的にその有効性を疑う。唯一の出口が頑張り、忍耐、倹約、ビジネス手法改善、もっと慎重な銀行業、そして何より装置の回避にあるのだ、と思っている人が未だにいる。だがこうした人々の運転するトラックは、決してこの地点を通り抜けられないのでは、と私は恐れる。徹夜して、もっと真面目な運転手を連れてきて、新しいエンジンをつけて、道を拡幅してみるかもしれない。それでもちょっと立ち止まって考えて、対向車の運転手と話しあい、お互いがそれぞれ少し左に同時に動くようにする、ちょっとした装置を作り出さない限りは、通り抜けられないだろう。」
(ケインズ「繁栄の手段」)
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