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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<The Gentle Art of Making Enemies

「この映画には、幼児性愛なんて月並みなテーマ以外にも、「友情」、より広い意味で「性的でない」関係すべてに、反旗を翻すという目的があった。実際、一定の年齢を越えたふたりの男に、しっかり話し合えるテーマなんてあるだろうか? 損得勘定や、なにかのプロジェクト(政府打倒や、道路建設、マンガのネームづくり、ユダヤ人撲滅)以外に、ふたりの男が行動をともにしたり、団結したりできる理由があるだろうか? 一定の年齢を越えてしまった人間にとって(僕が話しているのは一定の知性レベルに達した人間のことで、粗暴な年寄りのことではない)、すべてが語りつくされているのはあきらかだ。いったい全体ひとときをともに過ごすくらい虚しいプロジェクトが、憂鬱や気詰まり、確固たる敵意に発展しないわけがない。一方、男と女のあいだには、それでもまだなにか、小さな引力、小さな希望、小さな夢が、残っている。元来、言葉というものは、論争や仲違いをするためにあるのであって、その好戦的な性質は、いまだに言葉の特徴だ。言葉は破壊を生み、分裂を生む。したがって、男と女のあいだに、もはや言葉しか残っていないというのなら、ふたりの関係は終わったと見るのが妥当である。逆に、言葉が愛撫によって和らげられ、いくらか神聖になるときは、言葉は本来の意味とはちがった意味を獲得しうる。ドラマチックな面が減り、奥行きが増す。理知的で、超然とした、すぐには結果をもたらさない、自由な伴奏のようなものになる。
 この映画が非難するのは、単に友情だけではない。肉体関係を失くした瞬間からの人間関係すべてを非難している──……ようするに僕はギリシャ文化に回帰したわけだ。常として、人は老いるにつれ、ギリシャ文化に回帰するようになる。」
(ミシェル・ウェルベック『ある島の可能性』)
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