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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<普通文学

「小説には時代や社会の見え方を規定する力があり、それがないとその社会のみんながわかりそびれることをわからせてくれる、という“視点を創出”する力がある。だから、小説の力を侮ってはいけないのだ。小説を書こうというからには、「何が小説の力なのか」をもっと考える必要がある。
 社会問題をテーマにするのなら、社会問題を創出するくらいの気構えが必要だろう。創出が無理なら、せめて「不登校」や「引きこもり」などとマスコミに命名される前にその事象に着目し、みんなに気づかせるために小説にする(小説家とはオピニオン・リーダーでなく、観察者なのだ)。方法は、これしかないと思う。そして、これもまたひとつの「辺境」でもある。
 こうした小説は「社会的弱者」を扱っているわけだけれど、「社会的弱者」と「小説内弱者」は違うということに注意してほしい。「不登校の生徒」も「引きこもりの青年」も「性同一性障害の男性や女性」も、世の中にはなかなか居場所のない「社会的弱者」だが、小説のなかではすでに居場所が与えられている。つまり、そういう人たちを題材にすると小説が作りやすい。だから、彼らはすでに「小説内弱者(小説世界のマイノリティー)」ではない。
 しかし、世の中には、社会的にも小説のなかにも居場所のいない人はまだまだいる。そういう人を探してくれば、それはそれで、その小説を書く意味はあるのだろう……。
 とはいえ、小説が次から次へと社会的弱者を、まるで希少動物のコレクターのように漁りたがる風潮はそろそろやめにしてほしいとは思う。
 脳科学によって説明される人間の仕組みの、「心の発生」のようないちばん当たり前で根本のところが全然、解明されていないことからわかるように(だからこそ「辺境」なのだ)、人間が普通に人間でいることがいちばんの不思議で、今後書かれるべき題材は、この「普通であることの不思議」しかないと私は思うのだが……。」
(保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』)
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