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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<鑑賞の勘2

中村 小林さん、いろいろ文章を見ていて、文学者に一番大切なことというか、本質的なことって何んだと思いますか。
小林 トーンをこしらえることじゃないかなあ。
中村 そうだね。
小林 あんなおもしろいものはないんじゃないか。僕らが何ももう言うことないなと思う時は、それが聞こえている。いろいろなものを見たり考えたりしているうちに要求が贅沢になるでしょう。だから確かにあの人のトーンだというものがあるやつとないやつと見分けがつくようになるわけだね。それを見つけることだよ。トーンがあるやつの安心がこちらに伝わるわけだ。
福田 作者が安心してなきゃ、読者を楽しませたり、堪能させたりすることはできませんね。でも、いままでの日本の文学者はそういうものに反逆しているところがあるんじゃないですか。
小林 このごろでしょう。
福田 ええ、このごろ。そういうのは文学の本道ではないというふうに思っているところがあるんじゃないかなあ。
小林 と思いますね。
中村 それは文壇的にいえば私小説に対する反抗ということになるわけでしょう。しかし僕は私小説の人も反抗している人もやや手軽にトーンをつくりすぎるところがあるのではないかとも思うんだ。小林さんの説はそのとおりだと思うんだけど、トーンをつくるのに一つ手続きを抜いているところがあるような気がするんです。……
…………
福田 それこそ自分の天分というものがあって、いくらどういうふうに書いたって自分のトーンしか出ないんだけれど、勘違いしちゃっている。
中村 トーンというのは限界と同じようなもので、自然に出るものだ。出そうとしてはいけないものじゃないですか。
福田 そりゃそうです。しかし私小説が惰性的になっていくと、それはもう自分のトーンではなくて、私小説のトーンというものになっていくだろう。その中で少数の人たちがちゃんと自分のものを出している。たとえば志賀さんだってそうだし、葛西善蔵だってそうだ。一人の作家でもはじめのうちと終りでは違うし、私小説の場合には同じ作家でも終りになってくるとトーンが次第に安易になってくる要素があることはある。一般論としてそこに私小説の危険があるのだと思う。」
(小林秀雄×中村光夫×福田恆存「文学と人生」)
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