忍者ブログ

Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<普通文学3

「……小説で何かを表すには、ディティールを積み上げていくしかありません。……
 …………
 文章上達の方法として模倣は修業過程ですが、やはり対象を前にデッサンをしなければなりません。
 恋愛ひとつにしても、それを書こうとすると、これまで読んだ小説や映画などの恋愛に引っ張られがちです。意識しないうちに「恋愛はこういうものだ」「殺人はこういうものだ」といった先入観にしばられているからです。
 「理想は月並みなり」と正岡子規はいいました。理想〔=イデア〕、つまり頭のなかで想像することは大概どれも似てしまう。平凡なものになってしまう。先入観や固定観念で組み立ててしまうからです。「写生は多様なり」とも子規はいいましたが、りんごでも恋愛でも「ありのまま」に描くのは難しい。……たとえば恋愛とは、相手を思う気持ちばかりでなく、金がいる、会うのにどんな服装をするかといった細かい、現実的なことで成り立っています。……
 …………
 これまでの「イデア」を捨て、とりあえず、目の前にある現実を写生してみる。すると、そこから生まれる文章は、既成の作品とはまったく違うものになるかもしれない。これが小説だろうかと不安になるかもしれない。しかし、これまで「どうでもいいこと」とされていたことをきっちり書ければ、それは文学になるのです。
 …………
 恋愛というものは、個人の主体性を越えて運動する、計算外のことが次々と起きる、賢明さを越えたところにしか現れないものです。だからこそ面白いものであり厄介なのです。自分とはこういうものだと思っていた枠からはみ出てくるものがある。それも多くは、嫉妬といった見たくない、認めたくないといった愚劣な部分が出てくるのではないでしょうか。
 誰もが書けそうでいて、けれど、もっとも難しいのが恋愛小説です。誰もが自らの恋を特殊化するが、多くの恋愛は、本人が考えるほどには特別なものではないからでしょう。
 逆説を言うようですが、恋愛に特別も陳腐もない。ただその描き方に、陳腐なものとそうではないものがあるだけです。どんな恋愛も、その描き方が素晴らしければ、読むに値する小説になる。
 …………
 漱石は、「近代的な人間の内面」を書いたといわれていますが、それは「そろばんをはじきながら生きている」人間をきちんと描いたからです。それまで理想化されていた恋愛を、「金や義理」という現実に投げこんだ。すると、人はどう動くのか。
 現実には、恋愛だけで成立する世界はありません。受験、仕事、友達、親、それら恋愛にからんでくる糸をどう描くか……」
(福田和也「「読む力」」)
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
trounoir
性別:
非公開

P R