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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<Re: 普通文学5

「田山花袋は「小説」を書いた。が、私の判断では、それは《文学》ではない。柳田国男の方に私は《文学》を感じる。結局今日起こっている「小説」の衰弱というような問題はとるにたらないことであって、《文学》の衰弱こそが問題なのである。小説より事実の方が面白いということがおこるのは、小説の側に“人間的なもの”に対する懐疑の呟きが消え、かわりにてっとり早い文学的観念を提示するか、現実を文学的な解釈でカヴァーするかしかしていないからである。田山が柳田の話を聞いてそれは小説にならないといったのは、「小説」という観念でしか現実をみていなかった証拠である。
 …………
 ものを書ける人間ばかりがいるわけではない。子供をふらふらと殺してしまった父親は、その「心の経路」をありのままに表現することなどできない。いや、誰にしたってありのままに表現することはできないのである。できなくても構わない。……
 ある意味では、動機のある殺人と動機のない殺人という区別は成立しない。アラン流にいえば、動機のない殺人というものに動機があるので、ただそれがあまりに複雑にこみいっていてわかりにくいからにすぎない。逆にいえば、動機のはっきりした殺人というものもない。そこに至る迄の経路をさかのぼっていくと、結局原因が複雑すぎてわからなくなってしまうからである。
 …………
 どんな意識的な行為でも不透過な部分がある。ふらふらとやったのと大差ない要素がある。とにかく先ず人間は何事かをやってしまう。そして、やってしまってから考えるのである。われわれはすでにやってしまったことについてしか思考しえない。しかも、すでにやってしまっていたということへの胃和感なしには思考しえない。これは極言すれば、われわれが誰でも気がついたらすでにこの世界に生きていたということと変りはない。」
(柄谷行人「人間的なもの」)
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