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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<差異と不死

柄谷 差別反対と言う人は、みんな人間は同一であり、また同一化すればいいんだ、ということですが、どうも人間の生命力とか、文学的なヴァイタリティみたいなものは、そんなところからは来ない。むしろ、その反対から来るんじゃないかと思う。
 …………
 差別と差異というのは違いますね。英語で言っても、ディスクリミネーションとディファレンス、あるいはディファンレンシエーションですね。差別というのは、元来は同一性から来ていると思うのです。
安岡 だから本当を言えば、差別を差異に自分で変えて受け取る、という技だな。
柄谷 誰でも物書きならわかっているけれども、創造的な仕事というのは、差異化なんですね。同じことをくり返したくないでしょう。二度と、自分は同じ仕事はしない。他人と同じ仕事はしたくない。その力でやっていますね。
 ところが、その自信を失ったときに、どうやって耐えられるか、それがアイデンティティでしょう。たとえば白人が、なぜ白いということに依存しようとするかというと結局、自分自身でディファレンスを保てないからだと思う。つまり、何かに所属しないと生きていけない。その時に、便利なものがあるでしょう。色がある。オレは白い。オレは勝った、というわけです。
 しかし、本当の創造的な能力は、いつでもディファレンシエーションだと思うのです。絶対違うようにしていくものだ、と思う。そのことは誰でもできるとはかぎらないし、ほとんどできないですけれども、あるいは、できている人だって停滞すればいつでも危ないわけです。その時すがりつくものとして、アイデンティティというものが出てくると思う。だから、アイデンティティということと差別は、いつも対になっているのだと思います。
 しかし、そういうふうに言ったとしても、大多数の人間は創造的ではないし、何かたとえば自分の会社とのアイデンティティを持つとか、そういうふうにならざるをえないでしょう。」
(柄谷行人×安岡章太郎「アメリカについて」)
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