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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<相互無意識過剰2

水村 一目惚れというのは、たいていこわれるのよね(笑)。あれはあれでナルシシスティックなんじゃないかと思う。ただ、恋愛するということは、出会いからの記憶をたどり、今なぜこの特定の他者なのか、という必然を過去の時間の中に見出していくプロセスでもある、と思います。そういう意味で、今ある唯一性を逆に過去に見出してきて、一目惚れした、というふうに考えることはあるでしょうね。
編集部 嫉妬の問題なんかも大きいんじゃないですか。
水村 嫉妬の原因の「疑う」ということは、客観的照応性の必要がないんじゃないでしょうか。だから漱石の『行人』の中の、一郎の妻お直に対する嫉妬は、恋愛の一つの典型だと思います。
編集部 逆に、信じるということも、証拠とは独立ではありませんか。
木村 そうですよね。
編集部 ただ、恋愛における信頼の問題は、たぶんに戦略的な面があるような気もします。つまり、「私はあなたを信じている」と宣言することは、相手にとって抑圧として働くというような……。
水村 なにしろ恋愛というのは、基本的にはディスコースによってしか成り立たないんだから、どういう発語があり、それにどう対応したかということが、恋愛そのものを変えてしまう。「あなたを愛しています」というエナンシエイション[enunciation 言明]が、恋愛の「売り-買い」の場を開く。それに対して、「私もあなたを愛しています」などと答えると、とたんに、こんどは「買う」立場にあったほうが「売る」立場に立たされる、というような逆転が起こる。
 だから、女の人は貨幣退蔵者みたいになって「買う」立場にありつつ買わない、というような(笑)、相手の告白を聴いているのかどうかわからないような態度を、意識的にとったりもする。まさに、マルクスのいう貨幣退蔵者のように「自分の肉欲を犠牲」にするわけです(笑)。そこらへんは、かなり戦略的にもなりえます。
 いずれにせよ恋愛の場というのは、相手の言っていることが聴こえている、それを理解している、そしてそれをまた相手が気がついている、それだけで関係が変わってきてしまうような、そんな場なんだと思います。
柄谷 たとえば、相思相愛なんて恋愛はないよね。その中でも、たえず一方が「隠れる者」のように見えたり、他方がそう見えたりする。その関係がいつでも逆転するわけで、むしろ、その相互的な反転がなければ続かないでしょう。それは、かけひきというのともちょっと違うような気がする。とにかく、非対称性が固定してしまっても、対称的な同一性が実現されても、恋愛ではなくなる。」
(柄谷行人×水村美苗「恋愛の起源」)
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