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Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編

   汝自己のために何の偶像をも彫むべからず

( ゚Д゚)<本質的偽善

千絵 じゃあ、道徳的意見って何のために持つの?
祐樹 料理とか、音楽とか、そういうそれぞれの領域に属する事柄にかんする自分の意見というものがあるのと同じで、道徳的意見というのは、道徳という領域に分類される事柄にかんする自分の意見のことだよ。もちろん、客観的真理の認識なんかじゃない。あくまでも意見にすぎない。でも、道徳という領域における自分の意見は、ほかに動機になるものが何もないなら別だけど、ふつうは自分を動かす力にはならない。なぜかといえば、道徳という領域は、ふつうの人はみんなそうだと思うけど、少なくともぼくの人生にとっては、それほど重要ではない領域だからさ。
 …………
千絵 でも、祐樹みたいな考えだとしたら、そもそも道徳的見解なんて持つ必要がないから、それは飾りみたいなものにならない?
祐樹 道徳的見解なんて、飾りみたいなもんだよ。ときどき公の場なんかで意見を求められたときに表明するための。どこまでもたんなるタテマエにすぎない。そんなものに心を動かされることは、特殊な場合しかありえない。ぼくは心の底からそう思うよ。
 そんなに力まなくても、それはある意味ではまったくあたりまえのことさ。何度も確認してきたことだけど、道徳的な善悪はね、ホッブズが「契約」という媒介を入れざるをえないことを洞察したように、「いい湯だな」とか「いい旅行をした」とかの「いい」とはまったくちがって、直接的に善いことが道徳的に悪いことになって、直接的に悪いことが道徳的に善いことになるという、逆転したあり方をしているんだからね。ニーチェは道徳上の奴隷一揆による価値転倒なんて大げさなことを言っているけど、そんな大げさなことを言わなくても、その本性上、はじめから転倒によって成り立っているのは自明のことなんだ。つまり、本性上タテマエ的性格を持たざるをえないということさ。だからこそ、道徳にとっては──道徳にとってだけは──偽善というものが本質的な意味を持つんだ。他の領域の価値評価で偽善なんて無意味だろ? 「いい湯だな」や「いい旅行をした」には偽善なんて無意味なのに、道徳的な善の成立にとってだけは偽善の可能性が必然的な要素とならざるをえないんだ。偽快も偽美も偽真も無意味なのに、偽善の可能性は独特的な善そのものの本質に食い込んでいるんだよ。偽善可能性が本質的な構成要素にならざるをえないということこそが、道徳という特殊な価値の本質にあるんだ。このいちばん肝心なところがわかっていない内在主義者とかコミュニタリアンとかは、ホンマのアホとしかいいようがない。
祐樹 だから、もし飾りでもタテマエでもない自分の生き方の指針のようなものがあるとしたら、それは道徳という領域には属していないと思うよ。属していることなんかありえないはずだよ。
 しかし、そのありえないはずのことが起こってしまう場合があるんだな。いやそれどころか、その二つが、つまり道徳と生き方の指針とが、ぴったり重なってしまうことさえある。どういう場合に──気の毒なことに──ぴったり重なってしまうのかは、まさしくニーチェ的な問題だったわけだ。
千絵 でもさ、ニーチェが言うような病的な重なり方でなくて、本当に幸福に重なってる場合もあるような気がするんだけどなあ。内在主義とかコミュニタリアニズムとかは、同じ一つの社会に生まれ育って、同じ価値評価が共有されていて、その内部でのみ喜びや悲しみが意味を持つような世界では、正しい世界観であるような気がする。……客観的に存在している価値にふさわしく反応する行為が道徳的に正しくて、それができる人こそが美徳をそなえた人で……
 でも、かつていはそういう調和的世界があったというのは彼らのでっちあげだろうな。……
千絵 じゃあ、そこに近代と前近代の違いを見るのはまちがい?
 近代になって伝統的な共同体が解体したのは事実だ。だから、自明視して育てられた規範から脱して、新たに出会った他者と契約によって外的規範を作り上げていくというお話が、がぜんリアリティを持つようになったのも事実だろう。しかし、一面からいえば、……それもまた新しい共同性にすぎないから、それぞれの別々の善を相互に保護しあうために寄り集まった、共同性なき個人の集合体にも、それに固有の高次の共通善や、それを実現するための新たな友愛はありうるし、他面からいえば、古い共同体もまた、それを意識させない機構が巧妙に組み込まれていただけで、先鋭な利害対立の世界だったんだ。そんなところに本質的な違いなんかないさ。
千絵 それじゃあアインジヒトは、現代の政治思想上の対立に本質的な価値を認めないの?
 もちろんだ。俺のような猫から見れば、ああいうのは、それぞれ偉そうなことを言っているけど、人間たちの各種利害関係を代弁して学説っぽく装っている文字通りのイデオロギーにすぎない。言えることは、それを自覚してほしいということだけだ。」
(永井均『倫理とは何か』)
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