「……僕の友人に、昔、手段としてのアナキズム、運動としてのボルシェヴィズム、目的としてのファシズムと言った人間がいましたが、この三位一体は無視出来ないですね。
手段としてアナキズムというのは、ラディカルな極左的な方法ですよね。手段を選ばないということ。アナキズムを手段としつつ、ボルシェビキ的な党形成をしていき、最終的にファシズム的な体制をつくるということらしいです。
ではそのファシズム的な体制とは何かというと、ファシズムの国内政策、経済政策は社会民主主義と似たようなものです。ファシズムというのは裏を返せばただの社民なんです。現実に生きていれば社民しかできない。ファシストが党の形で権力を握り、経済統制をして、大きな政府をつくるということ。ファシズムは経済的な面から考えれば、なんら特別な体制ではない。どこが違うのかといえば、先発資本主義と後発資本主義の違いなのでしょう。
資本主義とファシズムと、社会主義ないしスターリン主義の違いは、先発資本主義と後発資本主義と前資本主義の違いなんです。ロシアは前資本主義です。前資本主義だから、共産主義として資本主義をやるしかない。ソ連における共産主義とは資本主義のことです。そして、後発資本主義は中間段階のプチブルです。ファシズム体制はプチブル体制のことです。さらに、資本主義は金持ち体制です。資本主義とファシズムと社会主義は、金持ちとプチブルと貧乏人に対応します。
資本主義の思想的転向ということについて言えば、アナキズム最大の問題点は、下手をしたらアナルコ・キャピタリズムになるということでしょう。自由を強調するあまりに、社会主義性を失って、アナルコ・キャピタリズムになってしまう。社会主義はスターリン主義で、平等主義を貫徹しようとすると、悪平等になってしまうと。
ファシズムというのはそれがないです。歴史の座敷牢に入れられていますから。ファシズムは戦後は終身禁固刑で、座敷牢にいれられています。その意味では唯一戦後の汚点がありません。そのファシズムから資本主義とスターリン主義に対する批判的な有効性をそれなりに取り出せるのではないでしょうか。もっと言えば、正当に歴史的に復権させてまともに批判すべきだということです。ファシズムが座敷牢に入れられることによって、資本主義とスターリン主義は言い抜けできるわけです。「あんなに悪くはないよ」と。スターリン主義から言わせると、ファシズムは資本主義の変形です。我々は社会主義をしているのだから、ファシズムみたいなあんな不純物ではないんだと。資本主義から言わせると、ファシズムはスターリン主義と同様の、全体主義なんですよね。やっぱり、我々はあんなにひどくないんだと。自分たちの正統性の根拠をつくるために、ファシズムは戦後無期懲役の禁固刑に、弁護人なしにされたのでしょう。弁護人をつけて引っぱり出して、もう一回裁判にかけて、審問すべきだと思います。逆に考えたら、ファシズムは反帝・反スタなわけですあkら。反帝・反スタの暴力闘争をしたのはファシズムだけでしょう。世界戦争までしているから。
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あえて図式化して言えば、ファシズムは一体なんなんだと言えば、ファシズムは自由はないんです。平等もないです。その変わり適度に自由があり適度に平等がある。ファシズムは自由・平等・博愛の博愛なんです。友愛でもいいです。ファシズムは友達を大事にしましょうという思想です。友達が困っていたら介抱してあげるということ、とにかく飯でも食えよと。お互い金を出しあうお助け講の世界なんです。」
(千坂恭二「ロングインタビュー・21世紀の革命戦争」)