Lubricate us with mucus. ──2nd season 盈則必虧編
汝自己のために何の偶像をも彫むべからず
だって私たちは雪中に立つ樹なのだ。見たところそれはすべすべと雪の上に載っている。ちょっと押せば簡単に押しつけられそうに見える。ところが、そうは行かない。固く大地に根を張っているのだから。だが見よ、それさえも見かけに過ぎないのだ。(『樹木』)ここに不思議な接続詞があらわれている。まるで接続詞のために書いた文章のようでさえある。傍点を打った三つの接続詞。文章はよく接続詞に秘密をあかすものだが、これも正にそうだ。
ここで偏執狂の閉塞とその痛ましい結末について若干の考察をしておこう。その支えとなるのは、偏執狂がその一端を成す諸情念との比較である。「閉塞」と訳した engorgement という語は、本来、管が詰まることを意味する。情念の閉塞とは、つまり、流れるべきところを情念が流れず、逆流してしまうことである。サッフォー趣味へと流れるべきストロゴノフ夫人の情念は、逆流してサディズムへと転換していた。ここで人は、ストロゴノフ夫人にロベルトの姿を、フーリエの提案に「歓待の掟」を重ねずにはいられないだろう。放埓への情念が「閉塞」させられたが故に、ロベルトは、その「反対情念」たる厳格に陥っていた。歓待は、その情念を相応しい場所へと導くものに他ならない。フーリエが考えているのも、「ファランステール」なる協同組合によって、各人の情念に様々な形態を提案し、それに相応しい流れを与え、更にはその流れを次々に交差させていくことである。初期の著作、『四運動の理論』の中でフーリエははっきりと述べていた。「情念を抑制することはできない」。これが出発点だ。彼の天才は、しかし、そこから、諸力の乱れ飛ぶアナーキーか、暴力によって統制されたポリスかという通俗的な二元論に陥ることなく、情念に対する内在的な働きかけによって秩序を生成させようと考えたところにある。「この新秩序が何か情念を変えなければならぬというわけではない。そんなことは神にも人にも不可能だろう。しかし情念の本性は何ら変えずに、情念の向きを変えることはできる」。注意すべきは、フーリエの構想が、抑圧の打破から情念の爆発へという図式から遠く離れたところにあるということだ。この図式は、いまだアナーキーかポリスかという二元論に捕われている。それに対し、「情念の向きを変えること」(changer la marche des passions)とは、上のストロゴノフ夫人の例からも明らかなように、情念を方向付けることを意味している。情念を爆発させるなどという妄想ではなく、行き先を知らない情念を導くことこそが重要なのだ。この発想故に、フーリエは、情念を肯定するとともに秩序を語ることができる。」
どんな情念も閉塞させられると、その反対情念を生む。そしてこの反対情念は、それが本来もたらし得る益と同程度の害をもたらす。偏執狂についても同じである。偏執狂の閉塞の一例をあげることにしよう。[…]
モスクワ大公妃ストロゴノフ夫人は老醜の訪れを感じ、或るうら若い女奴隷の美貌に嫉妬していた。そこで夫人は彼女を責めにかけさせ、自分もまた彼女の体に何本もの針を刺したりしていた。夫人のこうした残酷さの本当の動機は何だったのだろうか。それは嫉妬だったのか。否、その動機は、サッフォー趣味だった。かの夫人は無自覚なサッフォー趣味者だったのであり、自分も参加して責めさせていた女奴隷を愛していたのである。もし誰かがストロゴノフ夫人にサッフォーの観念を授け、彼女と犠牲者との間を仲直りさせていたなら、二人は熱情的な恋人同士になっていたことだろう。ところが夫人はサッフォー趣味に思い至ることがなかったために、反対情念に、つまり壊乱の運動に陥っていたのである。彼女は楽しむべき対象を迫害していたのであり、この迫害熱は、閉塞が偏見に由来するだけに尚のこと激しいものであった。偏見は夫人の目から情念の本当の目標を隠し、彼女に空想の中で自由に羽を伸ばすことすら許さなかったのである。暴力の閉塞であれば、これ程の迫害熱には至らないというのは、強制的に行われた剥奪の場合と同様である。
ストロゴノフ夫人が個人的に行った残虐行為を集団的に行った人々もいる。ネロは集団的残虐、すなわち万人に対して行われる残虐を好んだ。オディンは集団的残虐行為の宗教体系をつくり、サドは道徳体系をつくっていた。こうした嗜虐性は、なんらかの情念の閉塞の結果に他ならない。ネロとサドにあって閉塞させられていたのは複合情念と交代情念だった。ストロゴノフ夫人にあっては、それは愛の一分岐であった。
(Le Nouveau Monde amoureux, p. 390-391)